やりとりは自分から相手への「やり」と、その逆の「とり」で成立するコミュニケーションです。やりとりの場面、例えば、家族、仲間、同僚、上司、部下、お客、取引先を思い浮かべて、自分の意図を相手に伝えるのはなかなか難しい、と感じることはありませんか。これが今回のテーマです。
正確に伝えようとするほど時間が長くかかり、下手すると要点もボケる。じゃあということで要点を絞ってポイントだけ話そうとすると、抽象的になって真意が見えにくくなる……と、いろいろ不都合が出てきます。とはいっても、相手から肯定的で前向きな反応が返ってくるとやっぱり嬉しいです。そのやりとりは成り立っていると見て良いのではないでしょうか。
今回は、先達たちによる和歌のやりとりを見てみます。弾むやりとりもあれば、不首尾に終わるやりとりもあります。
人さまのやりとりを眺めるのは楽しめまっせ。

【和歌のスタイルで表現してみた】

Usage #15
やりとりの「やり」は自分の責任だからヨシとして、相手から返ってくる「とり」が手ごわいときの心として
言葉で人に伝えるたびに<これをやりといふぞ>
もれなく悔やみも付いてくる<これをとりといふぞ>

[元歌]
天武天皇:我が里に大雪降れり 大原の古りにし里に降らまくは後 (万103)
意味:こちらの里では大雪が降ったぞ(えっへん)。お前さんの住む大原の古びた里に降るのはもうちょい後のことだろうね。
藤原夫人:我が岡のおかみに言ひて降らしめし 雪のくだけしそこに散りけむ (万104)
意味:はあ?何をおっしゃいますやら(笑)。私が里の神さんに頼んで降らせた雪です。そのかけらがそっちで降ったのよ。
[解説]
これは天武天皇(てんむてんのう/622 – 686)と藤原夫人(ふじわらのぶにん/不詳)のやりとりです。
さすがの天武天皇も夫人にはぴしゃりと言い返されました。ユーモアが感じられるやりとりは、良き良きですね。現実では、ぴしゃりと言い返されると、次はこいつには言い返されないような言い方をしなくてはと身構えるので、ちょっと疲れます。
自分としては「賢しら」な返しをしない素直な老人になりたいので、大伴旅人の「生ける者遂にも死ぬるものにあれば この世にある間は楽しくをあらな」の精神を大事にしたい。
みなさんはいかがですか?

*       *       *

Usage #16
やりとりの「やり」は己、「とり」は相方というだけあって、返しの「とり」がコミュニケーションの成否を決めるんじゃないかの心として
受け手の返しがカギと思ふ 最初の言葉を活かすも殺すも

[元歌]
持統天皇:いなと言へど強ふる志斐(しい)のが強ひ語り このころ聞かずて我れ恋ひにけり (万136)
意味:もう十分よ、と言っても話を止めない志斐ばあちゃん。この無理強いなおしゃべりも、しばらく聞かないとなぜか寂しい気になるのよね。
志斐嫗:いなと言へど語れ語れと宣らせこそ 志斐いは申せ強ひ語りと言ふ(万137)
意味:あらら、そんなことを仰いますか、これは心外。これ以上喋らせるのは勘弁くださいと私がお頼みしても、いやいやもっともっと話をしてよと無理強いするのはどこのどなたでしょう。
[解説]
これは持統天皇(じとうてんのう/645 – 703)と志斐嫗(しいのばあちゃん/不詳)のやりとり。このやりとりを見ると、志斐姉さんは頭の回転が速い。こういう当意即妙な返しができないときは、口を開かず、相手の話を聞くだけでヨシとしましょう。

*       *       *

Usage #17
とはいいつつも最初のメッセージが伝わらなければ コミュは成り立たないよ、の心として
ほのめかしたとえばもしもさかしぶり これらに勝る強ひ語り

[元歌]
源 宗于:沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の 名残にさへや我はしづまむ
意味:を言っているのかイマイチよく分からないので略。
宇多天皇:ん? どういう意味?
[解説]
源 宗于(みなもと の むねゆき/生年不詳 – 940)が官位を上げてもらいたくて、宇多天皇(うだてんのう/867 – 931)にこの歌を見せた。けれども天皇には意味が分からなかった、という話。やりとりが成立しなかったので、官位UPの話もナシ。相手に分かってもらいたいことは、ほのめかしをしたり、たとえ話をしたり、もしもで仮の話をしたりなど、賢しぶった話し方より、率直に「強ひ語り」するほうが効果的な「やり」になると思ふ。

*       *       *

Usage #18
やりとりコミュニケーションをうまく行かせるための心として
よき言葉を交わしよき人との関係を結ぶこと これこそ人の大事なれ

[元歌]
藤原時平:今までになどかは花の咲かずして 四十年あまり年ぎりはする
意味:今まで貴方が適切な地位につかないまま、どうして40年余りも毎年見過ごされて来たのか、不思議です。
紀友則:はるばるの数は忘れずありながら 花咲かぬ木をなにに植ゑけむ
意味:毎年花が咲く春は廻ってきますのに、なぜか花の咲かない木を植えていた、てなもんだったのでしょう(苦笑)。
[解説]
これは藤原 時平(ふじわら の ときひら 871 – 909)と紀 友則(き の とものり/845 – 907)、26歳違いの二人の会話。年上の藤原時平は時の権力者。時平はこのやりとりから紀友則の才能を認め、見合う地位に引き上げました。よきコミュニケーションがよき結果につながる例です。我われも本番稽古で「やりとり」力を養いましょう。

profile

安部 博文
あべ・ひろふみ:1953年、大分市生まれ。大分大学教育学部物理学科卒業、師匠は田村洋彦先生(作曲家)。由布院温泉亀の井別荘天井桟敷レジデント弾き語リスト(自称)。大分大学で第1号の経済学博士、指導教員は薄上二郎先生(現青山学院大学経営学部教授)。国立大学法人電気通信大学客員教授。電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート理事長。
■ブログ「アルケーを知りたい」 https://gakuryokuup.blogspot.com
■Facebook  https://www.facebook.com/hifofumi.abe/
■電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート https://uec-programming.github.io/uec_support/