第20回 香港デモの背景 後編
※「早嶋聡史のマーケティング思考術/第19回 香港デモの背景 前編」より続き
■問い
逃亡犯条例改正案をきっかけに抗議活動が始まった香港。2019年11月24日の区議会選挙は、民主化運動に前例ない勝利をもたらしました。一連のデモはピークを超えたようですが、中国本土の企業や中国寄りの企業に怒りの矛先が向けられた形跡が未だ街中に残っていました(2019年11月末)。さて、香港の一連のデモの背景は一体どうなっているのでしょうか?
■答え
前編に続き、デモの背景や今後の状況を現地の若者の声を聞きながら自分の考えとして整理しました。
今回は後半です。
1.職にありつけないと思い込む学生
一連のデモ活動は政治的不満が原因と思っていましたが、現地大学生と話をし、訪問して感じたことは、若者の就職や先行き不安という側面も無視できないことです。
地元大学生によると、抗議者の8割は不公平な社会構造に怒りを示し、9割は貧富の格差に不満を抱えています。
フランス革命以降、政治的な理由で自由や民主主義を大義とする革命が起きているように、一見華やかな香港でも生活苦や将来不満が爆発しています。そしてその大半が若者からです。事実、デモ参加の多くは20歳代で大卒程度の学歴を持つか、在学中の生徒が多くを占めています。
金融が集まる国際都市香港は、知識集約型の事業が高度に発展しています。その状況を見ると家庭では教育にも熱がはいります。
しかし大卒でも、新卒者は希望する職にありつけません。香港は世界中から優秀な人材が集まり、既にその分野で成功した人材が揃っています。英語が通用する環境も世界中から人材を集める環境に手助けしているのです。
学生は感じています。
「受験勉強して大学に入ったのに仕事につく希望が持てない」と。
彼ら彼女らは優秀な反面、20世紀型の教育、詰め込み教育、答えありきの瞬発力を鍛える教育の中で育ってきていると感じます。そのため21世紀型の真のグローバル化に対応できない学生が多数いるのです。
確かに状況は厳しいです。しかし構造的な因果のため学生はその環境をコントロールできません。
であれば自ら起業するか、別の地域や国で自分の価値を認める企業を探せば良いのです。ただ多くの学生の話を聞いた結果、香港に固執しすぎて、環境のせいにするだけで視野が狭い側面も否めませんでした。
2.急速な人口増加の影響
1980年、香港人口は510万人程度でした。それが今では750万人を超えています。単純計算で毎年6万人弱の人口増加です。
香港も少子化が進んでいるため増加の原因は流入人口です。2018年は前年よりも7.3万人増加しており、出生数から死亡数を引いた自然増は6,300人程度です。約6.8万人の流入人口がありました。流入人口の7割は単程証の所有者です。単程証は香港人の中国本土の配偶者や中国本土で生まれた子供を呼び寄せる移民政策で香港返還から100万人を超えています。
地元香港人の一部は、本土から来た中国人が格差を助長すると考えます。中国本土で成功した金持ちが香港に来て不動産を買い住宅価格を釣り上げるからです。
一方で、不動産の活性化は香港政府にとってプラスと考えることができます(後述)。
香港には優れた教育機関が多数存在し、名門校は競争が激しいです。これが単純に学力争いだけであれば納得ですが、教育機関によっては家柄や親の職業を示す推薦状を要する狭き門になっていると学生は話していました。
近年、共産党や国有企業幹部は子供を香港の教育機関に通わせようとします。結果、転入学やコネ入学などの噂が広がります。実際にその事実の裏付けは取れませんでしたが、定員枠があるなかで、元々の香港人はその影響を受け入学が更に困難になっていると感じているのは事実です
3.好景気の落とし穴
1997年の英国返還後、香港には中国本土を中心に投資と観光客が押し寄せました。中国本土との取引が活発になり、好景気に沸き生活物価を押上げました。香港の平均所得や生活水準は先進国並みですが、2018年の香港のインフレ率は2.4%(日本は0.9%、韓国は1.4%、そして中国本土でも2.1%、世界銀行の統計情報を参照)と発展途上国レベルです。
インフレの影響で長期的には賃金上昇は期待できます。
しかしデモ活動に参加する若者は年長者と比較して所得水準は低く、急激なインフレにより生活苦を強く感じているのです。
格差を表す指標に、ジニ係数があります。
所得が均等に分配された場合、ジニ係数はゼロで、格差が激しいと1に近づく指標です。返還前の1986年のジニ係数は0.45程度でしたが、先進国で最も高い米国でも0.41程度なのに、現在の香港は0.54程度です。急速な経済成長と共に急速な格差社会になっているのです。
4.世界一高額な家賃と香港政府の関係
限られた香港の狭い土地で人口が増加すると、常に不動産の供給不足が続きます。金持ちは限られた不動産に集中するため、価格が上昇します。資本家は投機目的で資本を投下し転売することも助長して、価格上昇が続きます。
低所得層からすると非常に厳しい環境です。
香港の住宅の半数は政府が供給します。
これらは公共事業で住宅開発の収益と売買手数料は香港政府に入ります。残りの半数は不動産市場に共有されますが、香港政府は全ての土地の売買に関わるため、不動産の高騰と繰り返す転売は格好の収入源になります。税収の代わりに不動産収入でインフラを整えるため継続する不動産市況は香港紙不にとって好都合なのです。
香港で家を買う場合、平均収入の約18倍が相場です。
2019年時点での日本の平均収入は441万円です。香港の相場で考えると平均住宅価格は約8,000万円にもなるのです。
香港は地球上で最も不動産を取得しにくいエリアということが分かりますね。
5.君たちはどう生きるか
デモの発端は犯罪者引き渡し条例の審議でしたが、他の要因も複雑に絡み、突如噴火した状況です。
返還後、現在40歳以上の年長者は急速な経済成長の果実を得ています。しかし20歳代の若い世代は負の影響を受け続けていると感じているのです。
昭和を代表する知識人、岩波書店の取締役の吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」の一節に次のくだりがあります。
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雨の中、父を無くした主人公は世の中をみて「人は分子のようにちっぽけな存在だ」とおじさんに話します。自分が飲んだミルクはオーストラリアの牛から作られ飲むまでに無数の人が関わってきている。「あらゆるものが無数の人間同士の絶え間ない関係によって存在することを想い、人間分子の関係、あみ目の法則」と主人公は名付けました。
おじさんは語りかけます。「人間は人間同士、びっしりとつながり、互いに切ってもきれない関係にいながら、そして大部分があかの他人だ。そして、このあみ目の中で得な位置にいる人と、損な位置にいる人との区別があるということだ。」と。
※以上「君たちはどう生きるか」より抜粋
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著書は満州事変(1931年)の後、日本が軍国化する時代に書かれました。軍国主義に向かう日本に生まれた少年少女たちに、「自分で考えて自分で責任を取る大人になり希望を忘れてはいけない」というメッセージを残したと思います。これは今でも重要な意味があります。
香港然り、日本も予測つかない状況です。
資本主義の枠組みを踏襲する限り、今後グローバル化と市場開放は必然です。香港は急速な「上りの格差」で若者が苦しみ、日本は今後やってくる「下りの格差」により若者が苦しみます。
その際、自分のアタマで考えて、自らリスクを取り行動し、結果に責任を持つ基本的なスタンスは普遍的に役立つ考え方だと短い視察の中で再認識しました。
ーーー2019年11月29日 2泊の香港視察を受けて執筆 早嶋聡史
※参照Why are there protests in Hong Kong? All the context you need
https://www.bbc.com/news/world-asia-china-48607723