第17回 手仕事と機械化
■問い
機械化が進む中、人間の手仕事やアナログな作業は全てなくなるのでしょうか?
■答え
職人との対話の中で、私は逆に非合理な、アナログな、機械が成し遂げることが出来ない特定の技は価値が高騰すると考えます。職人の育成についての議論の中から、みなさんも自分の考えを確かめてみてください。
■解説
とある職人と長いこと時を過ごし、様々な議論を行いました。そして最後は、「職人って一体、どうやったら育つのか?」というシンプルな議論になりました。
職人とは、ウィキによると、『自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を創り出すことを職業とする人』とあります。更に、『日本では江戸時代の士農工商の工にあたり、歴史的に彼らを尊ぶ傾向があり、大陸より帰化した陶芸工や鉄器鍛冶は士分として遇された。彼らの持つ技術は職人芸とも呼ばれる』とあります。
【職人になるための3つの要素】
職人と話した『職人になるための要素』について我々が出した結論は、『センス』『興味』、そして『継続』でした。
まず、前提として職人には『センス』が必要です。いきなり直球で乱暴のように聞こえるかも知れませんが、職人の話を聞くと妙に納得しました。
曰く、「何十年も色々な弟子や丁稚を見てきて、作業をさせた時に、センスよく行える人と、手際が悪く、不器用な人と直ぐに分かる」と。
職人の仕事は基本的に長時間、ひとつのことに没頭する作業です。そこには当然に向き、不向きがあるものです。
コンサルの仕事や研修講師の仕事でも、同じことが言えると思います。「あっ、この人は向いていないな。できれば別の仕事をしたほうが良いな。きっと苦労するだろうな」とか。逆に、「この人いいなぁ、スーっと話が入ってくるし、間合いもいいし、筋がいい」となることも。
やはりその人を少しだけ観察することによって、ある程度その人の出来不出来が分かるものだそうです。それはなんというか、うまい言葉が見当たらなくて、やはり『センス』として表現した方がしっくりくるのです。
次に『興味』です。
本人が、最終的にその仕事を好きになっているか、嫌いなままかはひとまず置いておきます。本人が何かに対して掘り下げ、拡げ、または全く関連しない分野と結びつけることは、興味があるからできることなのです。
職人は自分と向き合い、徹底的に技を磨くのが生業です。そのため興味がなければ、そもそも自分から学ぶことができません。
これは何にでも共通することです。
会社に入り、OJTで学ぶ。たまに会社が用意してくれた社外の研修でも学ぶ。しかし、それ以外は受け身になっていては、普通の仕事しかできないでしょう。昔のように、機械が効果で人の手で補っていた頃は良かったのですが、今ではこの手の社員はあまり使い物にならないと思います。
通常、この手の人材の特徴は、何かあった場合に、直ぐに自分の取り組みを鑑みず会社や世の中のせいにすることです。全ては、本人に与えられた恵まれた環境で育ったという背景にあるもかも知れません。
本来、人が伸びる瞬間は自己啓発です。人から言われて無理やり取り組んでも、当たり前のことはできるようになります。しかし、飛び抜けて秀でた力が身につくことはありません。
これは仕事でも、職人技でも、一緒ですね。
最終的には、何らかの取り組みそのものを他人事として捉えないで、自分事として捉えることで、初めて内発的な、内側から発するエネルギーによって気持ちが高まり行動につながるのです。
自己啓発意欲が高い人は、人から言われなくても、現地、現物が大好きで、聴いたことは自分で確かめないと気持ちが済みません。実物を見て体験を通じ、自分の取り組みを見つめ直し、そこからの学びを次の行動に結びつけます。
この域になればシメたもの。水を得た魚のようにスイスイ泳ぎ出すことでしょう。
3つ目の要素、『継続』です。
続けるか、続けないか。
或いは続くか、続かないか…。
その職人は、「まずは3年」という時間単位を話していました。
3年というのは私も同様だと思います。毎日、死ぬほど一生懸命に、10時間没頭して取り組んだとします。1年間で365日、3年間で凡そ1,000日です。そうすると約1万時間、そのことに取り組んでいることになります。
よく言われるように、プロになるためには1万時間は没頭する必要があるのです。経験則だとおもいますが、1万時間続けることは、初めての人にとっては難儀でしょうね。
逆を言えば、興味やセンスが無くても、1万時間の取り組みがあれば、プロとして一定の成果は出せるようになるということです。
しかし、ほとんどが3年どころか、3ヶ月も続きません。
やる気が無いのか、やらないから気分が下がるのか。上手くいかないことから焦り始めて、直ぐに諦めてしまいます。
その因果に、ひょっとして興味とセンスがあるかも知れません。
しかし、3年続けた結果、確実にある程度の技量は身についています。
【海外から見た日本の職人】
海外では、日本の職人はとても珍しく映るそうです。
理由は、全体の工程を一人でこなす職人が多いことです。
また、今でも機械ではなくアナログな昔からの道具を使いこなすことで、昔からの技を磨いている点も、非常に興味深いようです。
もちろん欧州でも職人はいます。しかし、彼ら彼女らの多くは、職人の「手仕事」に対して、合理的な「分業」を行い、積極的に「機械化」をすすめています。工程を細分化することで、教育する範囲も小さくなるため、合理的に担い手を育てることができるのです。
全ての工程を、それぞれ異なる道具で、職人のセンスによって取り組む日本の技は、そう簡単に真似することは出来ないのです。
では、日本はなぜ合理的に分業を施して、機械化を導入しなかったのでしょうか。
職人との議論の中ででた一つの見解は、「家業」でした。
家業とは、家族によって継承される一定の生業を指します。日本の職人技の多くが家業で、特定の氏族や家系によって、特定の学問、知識、技芸などが世襲的に継承されたのです。
家族は、常に同じ空間にいて、全てを共有しています。子供は職人の背中に背負われ、小さいながらも職人の広範囲な手仕事を見ています。丁稚の期間は、乳飲み子からはじまっているのです。
職人は、「自分と向き合って技を磨く人」たちですから、逆を言えば「自分の技を合理化して自分以外の第三者に伝えること」が苦手です。
そのため、他人に対して仕事を任せようとしても、なかなか上手くコミュニケーションが取れません。家族であれば血の繋がりがあるので、辛抱強く技を継承させることができたのです。
家業で行ってきたため、多くの職人が小規模で細々と行ってきました。
その結果、道具に関する設備投資を行うこともなく、100年、200年と変わらない取り組みが続いたのです。つまり、「進化しなかった取り組み」が、今の時代に評価されるようになったのです。
【シンギュラリティ時代の職人】
2045年に、シンギュラリティ(人工知能が人間の知性を超える「技術的特異点」)の時代がやってくる。そうなると、考えることすらもAIが人間の代わりに行ってくれ、誰も何もすることがなくなってしまう。そのようなSFのような世界になりつつある今、あえて人間の力だけで、全ての工程を少人数で創り出す技は、果てしない価値を生むようになると思います。
同じモノは機械で簡単に作れるかも知れません。
しかし、それは機械の仕事。完成した商品を見ると、人の手仕事で行ったぬくもりなどが伝わって来ません。合理化がますます進む今、あえての非効率化が価値を生むヒントになるのではないでしょうか。
職人と話をした後、私が持っている仮説は、つまり「非合理的な仕事の価値」について、また少し理解が深まりました。