今から約40数年前、私が筑波大学2年生の時に、法律学専攻にもかかわらず、自由選択科目の「映像文化論」を受講しました。インターネットもYouTubeも無く、かろうじてビデオテープで映画やライヴ映像が観られた時代に「映像文化」という未来を感じさせるワードに飛びつき、内容も指導教授(今も名前は思い出せませんが…)も確認せずに受講を申し込みました。
最初の講義。たぶん一番大きかった教室に入ってみると…大きなスクリーンに映し出されたのはのは無声映画、さらにライヴでアフレコを教授自らが担当するという、今思うと何とも不思議な授業でした。でも粗くて、早回しのような映像に必死に喰らいつくような教授のアフレコ…。これが私の「活弁」との最初の出会いかもしれません。その後はこの授業(ほぼ活弁!)の方が、専攻していた授業より楽しかったことは言うまでもありません。
大学卒業後、パルコに入社してから海外の著名なジャズミュージシャンが無声映画に即興演奏を合わせるという貴重なライヴを観る機会が何度かあり、レトロな映像と尖鋭的な音楽が絶妙に絡むパフォーマンスにハマっていきました。しかし興行的にはなかなかハードルが高かったのか、その後はあまり活弁というエンタメに触れる機会はありませんでした。
時は随分流れて、あの忌まわしいコロナ禍が過ぎ、地元浅草の飲食業界やエンタメ業界(浅草演芸ホール浅草木馬座等)が活気を取り戻し始めた2023年11月、奇しくも筑波大時代にお世話になったゼミの教授(映像文化論とは無関係)から、一人の女性活弁士を紹介されました。
名前は麻生子八咫(こやた)さん
現在日本で活躍する活弁士は15人前後、そのうち女性は数人という希少なエンタメ業界の中でも彼女は、日本国内のみならず海外にも活動の場を広げていて(7月には外国人記者クラブで英語活弁公演も開催予定)、さらに古い無声映画だけではなく、次世代の映像作家たちとのコラボレーション等多彩な活動を続ける唯一無二のアーティスト/クリエーター/パフォーマーなんです!
いわゆる日本の伝統芸能というと「歌舞伎」能」「狂言」「浄瑠璃」「落語」「講談」等を思い浮かべることが多いと思いますが、最近では3D 映像やワイヤーアクション等のテクノロジーの活用、アニメ『ONE PEACE(ワンピース)』とのコラボレーション等いわゆる「伝統×革新」を売りにして、生き残りを掛けながらエンタメとしてのビジネスを維持しているように思えます。
さて、この「活弁」という至高(孤高?)の芸術を次世代に伝える麻生子八咫による圧巻のパフォーマンスを、大分市内で観ることが出来ます。
実は彼女の師匠であり実父である麻生八咫(やた)氏は大分・豊後大野市出身で、「豊の国かぼす特命大使」!
実は私も大分パルコ店長時代にかぼす大使を拝命していまして、そんなご縁もあり今回の子八咫氏の単独公演開催が実現できました。
会場は今年1月、大分市中央町(通称・竹西エリア)にオープンした「サロン・ド・健全な地獄」。
「活弁」を「KATSUBEN」にアップデートするべく、果敢に挑戦する子八咫氏の今を、いち早く大分の秘密サロン(?)で公開します。
ぜひ最新の伝統芸能の正体をその目で確かめて下さい!

■活弁とKATSUBENのあいだに。
●活弁士 麻生子八咫(あそう・こやた)
※「麻生やた★子やた本舗」公式サイト https://katsuben.com
●日時 2024年6月29日(土)18:00開演(17:30開場)終演19:30
●主な演目 「血煙り高田の馬場」「チャップリンの霊泉」「無音のYoutube動画を使った動画」
●会場 サロン・ド・健全な地獄(大分県大分市中央町3-6-13 ROXYビル1F ※地図
URL https://bside-jp.com
●料金 3,000円(税込)40名限定 1ドリンク別途オーダー
●お申込み・お問合せ tel:097-532-8908 TEL:097-532-8908 (株)Cont内
●公演情報(「サロン・ド・健全な地獄」インスタグラム) https://www.instagram.com/salon_de_healthyhell/

profile

柴田廣次
しばた・ひろつぐ/1960年、福島県郡山市生まれ。筑波大学を卒業後、1983年株式会社パルコ入社。2004年〜2007年には大分パルコ店長を経験。2018年2月に独立し「Long Distance Love 合同会社」を設立。
■Long Distance Love合同会社
https://longdistancelove.jp
■コラムインコラム
「名(タイトルは体(中身)を表す」本。
かつて『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』とか『人は話し方が9割』『人は見た目が9割』とか、レコードの「ジャケ買い」ならぬ
本の「タイトル(または帯コメント)買い」を狙った販売戦略が横行した時期がありました。そんな私もご多分に漏れず、まんまと戦略に引っ掛かりました(いまでもたまにamazonでうっかりポチっとしてしまいますが…)。そして読んだ後の失望感もたくさん経験しました。
そんな出版社との駆け引き(?)をしなくとも、全幅の信頼を置いて必ず新刊を手に取るのが内田樹氏。ただ今回の『だからあれほど言ったのに』は、これまでの『新しい戦前…』『街場…』シリーズとは違って、若干あざとさを感じるタイトルだったので、ちょっとだけ警戒!?)しました…が、間違いありませんでした! 既出のエッセイ等を大幅加筆修正・再構成した内容ですが、日本や世界が抱えている課題や問題を多層的・複眼的、そして何に対しても忖度なくブレない(頑固ではなく)姿勢で語り掛ける文体(そう、文章を読んでるというより目の前で話を聞いている感覚←個人差あり)に毎度引き込まれています。今回は冒頭まえがきで「なぜこのタイトルに落ち着いたか」についての種明かしも記載されているので、いきなり警戒心も解け、思う存分「内田節」を堪能できました。
何度も出てくる「不自由」というワード(現実)に慣れっ子になってしまった、自分も含めた日本人への警告…。大げさかもしれないけど、その通りと思わせる説得力・迫力ある内容でした。個人的には「人生は問題解決のためにあるわけではない」(第2部/第4章)に痛く共感しました。