突然ですが読者のみなさんの中でdj hondaという名前を記憶されている方はどれくらいいるでしょうか。
1990年代にあのイチローが被ったことから一大ブームを巻き起こしたキャップ(帽子)ブランドのことですが、当時は若い世代どころか、魚市場のオジサンまで訳も分からず(パチモンと知らずw)被っていたというくらい普及していました。今ならMLBに全く興味も知識もない若い女性がピンクのヤンキースキャップを被っているような感覚でしょうか(ドジャースの場合は明らかに大谷ファンかもしれませんが)。

話は変わって、先月世界的に有名な(ある意味dj hondaくらい認知度の高い)アーティスト「Banksy(バンクシー)」の作品が展示される、まったくテーマが違う2つの展覧会に行ってきました。

先ずは松坂屋上野店で開催された「ファインアートコレクション2025」。
いわゆる百貨店の定番美術催事ですが、著名な大御所の日本美術家のファインアート作品に混じって、唐突にBanksyの作品が1点展示されていました。覆面アーティストとして神出鬼没のいわゆるストリートアーティストとして知られている彼(ら?)の作品がなぜ額縁に収められたファインアートとして扱われているのか。もちろん企画担当者からお話を聞く機会はありませんでしたが、百貨店の上層階(催事場フロア)のむやみに広い会場にはお客様の姿もほとんど見掛けなかったので、今回のキュレーションの反応はうかがえませんでしたが。
 もう一つはまさにBanksyのホームグラウンドストリートアートの進化と革命展@渋谷ストリームホール(3月23日まで開催中)。
相当大見得切ったタイトルですが、サブタイトルは「Stream Of Banksy Effect」なので、まさに主役扱いです。
展覧会の中身は想像通り看板倒れの内容でした。(←個人的な感想です)
渋谷に最近出来たばかりのピカピカな商業施設の中で、そもそも路上の落書き(グラフィティ)から発生したアートムーヴメントを作品単体の展示で伝えること自体無理があるのは会場の演出を見れば一目瞭然。一人暮らし専用マンションの壁紙のようなレンガの通路壁や、臭いや汚れが皆無のゴミくずの山の演出(しかも映えフォトスポットとして撮影推奨)等、チープでフェイクな世界観に、進化や革命を感じるどころか、開発真っ只中の渋谷駅周辺の工事現場の風景にストリートアートを感じてしまうハメに。
初Banksyの方にはホンモノ約50点の作品に触れる貴重な体験かもしれません。でも同じく大フューチャーされる大御所アーティスト・日比野克彦氏(現・東京藝大学長)の最新プロジェクトを、この展覧会の文脈で語るのは唐突過ぎて、すんなり理解できませんでした。
※Banksy日本初の個展は渋谷パルコギャラリー。その時に制作した下敷き(非売品)ですが、オークションに掛けたら幾らの値が付くのか?

80年代NYの地下鉄や公共のトイレの壁面などにペインティングしたキース・へリングの作品が今も保存され、後世に伝え続けているのに対して、落書きは原則禁止が基本スタンスの日本で、ストリートアートの進化と革命を伝えることはそう簡単では無いとつくづく感じました。
いろいろな意味で、観に行くことをおススメします。
※1989年キース•ヘリング、パルコの仕事で来日した際、本人たっての希望で歌舞伎町へ。その時立ち寄ったカラオケ店の灰皿にサインしてもらいました。

profile

柴田廣次
しばた・ひろつぐ/1960年、福島県郡山市生まれ。筑波大学を卒業後、1983年株式会社パルコ入社。2004年〜2007年には大分パルコ店長を経験。2018年2月に独立し「Long Distance Love 合同会社」を設立。
■Long Distance Love合同会社
https://longdistancelove.jp
■コラムインコラム
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著者で本を買うことのススメ
いろんな意味で波乱の幕開けとなった令和7年(西暦2025年)は今回ご紹介する昭和100年である。
失われた30年として暗黒の年号になってしまった「平成」に対して、いまだに我々日本人の生活や意識に居座り続ける「昭和」とは一体どんな時代だったんだろう…なんて振り返る必要もないほど、歴史は繰り返されるというか、何も変わっていない、というようなことが(たぶん)書かれている。
著者の古市憲寿氏は、バブル期突入前夜の1985年生まれの社会学者。歯に衣着せぬ(というより、あえて反感を買うような物言い)で、リアルでも炎上しまくる曲者キャラですが、個人的には独自でブレない視点と鋭い洞察力を持った作家兼ジャーナリストとして評価しています。おそらく悪気はないけど、どうしても斜めから物事を視てしまったり、皮肉っぽい物言いになってしまうところが自分と似ていると感じているかもしれません。
書籍の帯(誰かの推薦文は一切無し)に書かれた「昭和が終わらない。」「私たちの目の前に広がるのは朝日かそれとも夕日か」という言葉は、「昭和」という怪物・亡霊にいまだに憑りつかれている今の日本を動かしている大人達に対する戒めの言葉であり、これからの未来(令和の先まで)を生きていくしかない世代達への道標でもある…なんてこと、彼はこれっぽっちも思ってないかもしれない、と思わせるほど明朗快活な一冊です。