突然ですが、最近政治的な言動が目に付くイーロン・マスク氏が、「2025年末には人口知能(AI)が最も賢い人間の知能を超える」という自身の予測を語ったことに大変驚いた人も少なくなかったのではないでしょうか。
いわゆる「2045年問題(シンギュラリティ)」到来の大幅短縮の話かと思いますが、まさか20年も早まる予測をあの方に語られると信憑性が増します。
今回は、100年に一度の大開発『SHIBUYA』の完成を2027年に控え、跡形も無く消え去ってしまいそうな『渋谷』の様々な遺産を「食」の面から考察してみたいと思います。
名づけて「FOOD LEGACY」です。
坂道や入り組んだ小道が多い渋谷には、70年代から続く飲食店がひしめき合っていました。しかし今や「大規模再開発」という名の「TSUNAMI」に襲われ、消失した名店も多数あります。
そんな中で、まさに渋谷の生き証人とも言えるのが「蕎麦」「うどん」「ラーメン」「パスタ」という「渋谷麺類四天王」(筆者命名)の存在です。それぞれ渋谷のど真ん中で40年以上営業を続ける「FOOD LEGACY」ばかりです。
先ずは1952年創業、渋谷の粋な食文化を支え続ける『そば処福田屋』。
道玄坂通りと文化村通りのあいだの細い路地に佇む名店です。かつては一軒家(平屋)でしたが、時は流れ、今や立派な「福田屋ビル」の2階に自店を構え、他のフロアは別の飲食テナントが入居しています。私がパルコ入社時から通い始めた頃から昼夜問わず大人気ですが、最近2代目主人が営業時間を大幅短縮し、実質昼営業のみ(11:30~14:30)という大英断を下しました。ただしランチ営業に絞ったというより、随時お酒も楽しめるスタイルは変わりません。最近でも連日老若男女のお客様が訪れる超人気店ですが、あえてわずか1日3時間営業にしたその心はいかに…。現ご主人に話を聞いても「(渋谷の大変化に)もう疲れちゃったので…」という意外な、でも納得できない答えが返ってきました。
その真意はともかく「渋谷」から「SHIBUYA」を見守り続ける「たかが蕎麦屋、されど蕎麦屋」にぜひ足を運んで下さい。そして真昼間から、ご主人厳選の日本酒とコシのある極細麺とサクサク天麩羅をご堪能あれ。
続いて「うどん」編。1936年香川で創業した後、まだまだ讃岐うどんなど知られていない、当時のオシャレな渋谷で半世紀にわたって(移転を繰り返しながら)「都内随一の讃岐うどんの店」の地位を確立した『讃岐うどん麺喜やしま渋谷円山町店』。
令和6年現在の店内はいわゆる昭和レトロ感満載ですが、現四代目店主及びスタッフは相当やんちゃでファンキーです。本格的な讃岐うどんはもちろん斬新かつトレンドをおさえたメニューも多数。そしてオリジナルグッズを作ったり、店内のテーブルでDJイベント開催したり、とにかく自由奔放、唯一無二のうどん店は「SHIBUYA」時代になっても変わらないはずです。
そしてもはや説明不要の渋谷のドン、TOKYO町中華の至宝『喜楽』は1952年創業。
かつて木造2階建ての店舗時代は、当時は最新式だったと思われる1階の調理場から手動ロープ式のリフトで料理を運んでいました。創業者が台湾から渡って店を開いたといわれるお店の看板メニュー「中華麺」は、いわゆる日本発祥の「ラーメン(中華そば、支那そば等)」とは一味二味も違いますが、今や東京ラーメンを代表する味といっても過言ではないでしょう。道玄坂の中腹から「百軒店」の急な坂道にある店の前は行列が途絶えることはありません。
最後は渋谷パスタ界のラスボス『ホームズパスタ』。
これまで紹介した3店舗に比べて歴史は浅いですが(1986年創業)、札幌より早いかもしれない「元祖スープパスタ」と称される、渋谷をホームとする名店です。「絶望」とネーミングされた看板メニューをはじめ、説明が難しい個性あふれるスープパスタが勢揃い。渋谷・宇田川町交番から渋谷パルコに向かう急な坂(別名「竹久夢二の坂」)の途中、右側のレンガ造りの古いビルの3階にひっそり佇む店頭には、やはり行列が絶えません。最近は事業拡大に伴い、積極的にFC展開で暖簾分けを進めているようですが、やはり渋谷を見守り続けている本店の味と、ホール担当のちょっぴり塩対応(笑)は格別です。
2027年に向けて続々とオープンする巨大商業ビル群に覆われたSHIBUYAは、渋谷のFOOD LEGACYを破壊しながら「YOKOCHO(横丁)」や「ROJIURA(路地裏)」の食文化を再生産するという自己矛盾に陥っています。
さあ、今からでも遅くないので、ぜひ「渋谷麺類四天王」を訪れて下さい!