ハッキリと説明は出来ないけど、何となく自分なりのイメージを持っている代表的な言葉のひとつに「サブカル」があります。
「サブカル」はサブカルチャー(Subculture)の略語であり、辞書的(ウィキペディア)もしくはAI等の定義では
・メインカルチャー(主流文化)と対比される概念
・一部の集団を担い手とする文化、副次文化下位文化とも訳される
・60~70年代のカウンターカルチャーが形骸化、商業主義化し(サブカル)に変質
なるほど、こういう風に理解して、説明すれば良いのか。
いや、2020年代以降はこの程度の認識が全くの的外れなのは誰もが知るところです。
その一方で2024年に『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史――サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』という、ちょっと大げさなタイトルの書籍が唐突に(?)出版されました。
著書の富永京子氏は1986年生まれ。1974~1985年パルコ出版から発行された日本のサブカルチャー誌「ビックリハウス」休刊の翌年に生まれた「社会学・社会運動論」専攻の大学教授。「社会運動のサブカルチャー化」(2016年)という著書もあり、どうやらサブカルと政治(社会運動)を関連付けることが得意なようです。残念ながら2冊とも未読なので、細かい論評は出来ませんが、ビックリハウスの編集長だった大正大学表現学部長の榎本了壱氏が自身のFacebookでこう感想を吐露しています。(以下、抜粋)
「…基本(富永氏が)社会学者として70年代、80年代の若者が、洞政治的関心を持っていたかが主題である。(ビックリハウス)編集部が最も興味を持っていなかったモチーフで解析してくるわけだから、海で気持ち良く泳いでいたら、突然海底から足を引っ張られた感じだ。もう40年も経つのだから、泳ぎもままならず、溺死しそうになった」「編集に至るプロセスを細かく拾い上げてくれているが、パロディ誌に至るきっかけなど相当キテレツなので、しっかり書いてもらいたかった」
「(ビックリハウスは)望まれて生まれてきた雑誌ではなく、生まれてきてからいじくりまわしてやっと雑誌になっていったものだから、ウケ狙いのカタマリだし、情けないほど主体性のないポピュリズムだった」
「だから富永さんが解析したようなテーマとは真逆の雑誌だと言えるのだけど、しつこい寝技に持ち込まれてippon取られてしまった感じだ」
「…もうボーゼンとしているしかない。ひとまず、富永さんに拍手!」
本を読んでない私が言うのもなんですが、「サブカル」という意匠(あるいは衣装)をまとった時代の空気を体感していないまま、資料・文献に頼って(今頃になって)定義・分析してもあまり意味がないっていうことです。(ですよね、榎本さん)
一方、「WIRED」元編集長の若林恵氏は「実験の民主主義」(コラムインコラム参照)の聞き手として、スマートフォンとインターネットによって様々な文化の階層領域が溶け出し境目が無くなった「コンバージェンス(融合)カルチャー」、略して「コンカル」(?)という極めて重要な概念を提示しています。
「SNS」VS「マスメディア」の攻防戦が注目を浴びた東京都知事選、「分断」が激化するアメリカ大統領選と、政治の世界にもあらためて「融合」が重要なキーワードになる2020年代。
やっと「サブカル」がアップデートする時代の到来です!