■日本のエンタメwith コロナ ~フェスの憂鬱、映画館の未来
まもなく9月というのに、相変わらず周りの話題はほぼコロナ一色。最近はコロナ禍の現状が(勝手に)「震災認定」されたことや、多様なワクチンの副反応について等話題に事欠きませんが、個人的には「フジロックフェスティバル」強行(?)開催の余波でしょうか。
フジロック公式ファンサイト掲載のメッセージより
「ROCK IN JAPAN」ドタキャン(?)の衝撃報道の後も、開催の姿勢を崩さなかったフジロック。開催地の県や町、そして何よりも国(環境省・官公庁)の後押しもあったせいか、開催直前まで激しい賛否の声が上がっていたSNSに比べ、マスメディアの反応はいたって慎ましいものでした。
ところが終了直後 に突如「会場ではひとりの陽性者も確認されていない」との声明を発表。さらに3日間の来場者は3万5,449人で(docomo調査では85%が1都3県から、地元新潟から5%程度)、2019年の約13万人(4日間開催)と比較しても大幅減であったことは間違いないようです。
一方、同じタイミングで報道されたイギリスで開催の音楽イベントではマスク着用義務なし等、さしずめ“大規模実証実験”といった様相のフェスを決行。5万人超の入場者の内4,700人が感染と発表されたが、こちらは「with コロナ」時代の大型イベントの実施方法を、継続して具体的に検討する方針だという話です。
この両国のフェス関係者の姿勢の違いは何でしょうか?
ドタキャンした出演者の言い訳やステージをやり遂げたミュージシャンの高揚感溢れるコメント(「フジロックは文化。僕たちが守っていかなければ」的な…)だけでは、今回の開催が今後のフェス関係者(主催者・出演者・参加者他)の憂鬱を解消することにはほとんど繋がらないと思うし、まだ何の結果も検証もされていない段階での「陽性者ゼロ」報告にはどんな意味があり、どんな意図があったのでしょうか。
ちなみに9月以降の野外フェスは軒並み中止を発表。例えば「with コロナ」でのフェスは、経済的負担含め思い切って国が中心となって管理・主催して“大規模実証実験”の場として運営に当たり、「趣旨に同意した人のみ参加できる」と言った取り組みを進めない限り、「with コロナのフェス」は文化と言えるまでの高みに復活、昇華するとは思えません。
来年のフジロック開催発表を報じるサイト「音楽ナタリー」より
さて、野外フェスの規模とは対極にある映画館、特にミニシアターと呼ばれる小規模映画館(いわゆる“単館系”と呼ばれる席数200以下が目安の映画館)もコロナ禍に苛まれ続けている業界です。
つい最近まで、映画館も野外フェスさながらにペンライトを持ちながら合唱したり(「ボヘミアン・ラプソディ」等)、お気に入りキャラクターのコスプレを競い合う新作先行上映会(「スターウォーズ)等)が話題を集めたりと、映画館は全国津々浦々で楽しめる極上エンタメ会場になっていました。
その一方で、まさに“文化”としての映像作品を小規模ながら地道に紹介し続け、街に根付いていたミニシアターがコロナ禍という大波に飲み込まれている今、個人的に大注目しているのがヘッドフォンシアター「THEATER GUILD」です。
こちらは東京・代官山のレンガ造りの瀟洒なビルの一角に、プチホテルのロビーのような佇まいのミニシアター。客席は1人用のリクライニングチェアから2〜3名掛けのソファー、パーティー用のダイニングテーブルまで、場所も大きさも座り心地もバラバラ(総席数は40席程度)。
映画を観る時はそれぞれが特別仕様のヘッドフォンを装着して、通常のミニシアター以上の大きさのスクリーンを、ワインやコーヒーを飲みながら映画を楽しむという、極めて自由な鑑賞スタイル。ともするとリラックスし過ぎて、肝心の映画に集中できないのではと思いがちですが、驚くほど集中力が沸き上がり、あっという間にスクリーンに没入していく感覚に陥ります。通常の映画館や自宅のテレビ・スマホではあっという間に睡魔に襲われたり、“ながら視聴”になりがちな難解なドキュメンタリー映画であっても、まばたきひとつ出来ないくらいです(笑)。つい先日開催された「アフリカ映画祭」の作品は、耳元から聴こえてくる風の音、虫の羽音やリアルな銃声、想像以上に印象的なBGM等、五感をフル稼働状態で鑑賞できました。
今まで身近にあり過ぎて、あるいはあまり関心を持たなかった音楽や映画、文学、アート、スポーツ等の広い意味での“文化”のありがたさを、皮肉にもコロナ禍で再確認できたように感じます。
モヤモヤとした憂鬱感から脱却して明るい未来を見つける方法は、すぐ近くに来ているのかもしれません。