2020年6月19日、竹製品の加工・販売業を営む有限会社湯山工芸が、製竹業を営む合資会社竹本商店の事業を承継することになり、その契約調印式をみらいしんきん本店で行いました。竹材の「加工」と「製竹」では必要な技術・ノウハウが異なりますが、湯山工芸の堀川代表取締役は、別府の伝統産業を守るという課題に率先して取り組むために、今回の事業承継を決めたと話します。背景や想いを、堀川代表取締役に伺いました。
■工場移転の話から始まった事業承継
──湯山工芸は1970年の設立以来、竹製品の加工・販売業に携わっていると伺っています。
堀川 先代である私の父が事業をスタートさせ、2020年で設立50年を迎えました。小さい頃は後を継ごうなんて思ってもいませんでしたが、ずっと背中を見ていると考え方も変わってきて。父の他界後、2017年に私が2代目に就任しました。社員は私を含めて3人。ですが、別府市内には当社に協力いただいている竹細工職人が多くいらっしゃり、その方々が加工した製品を卸商に販売するところまでが当社の役目です。そして、卸商から全国のお客様に製品が届けられるという流れになっています。
──湯山工芸ではどのような竹製品を扱っているのですか?
堀川 全国各地の観光地で販売されているアクセサリーの元になる竹製ビーズや、お囃子の竹笛、お箸など、さまざまな種類の竹製品を扱っています。製造数で言うと、ビーズは年間数万個、竹笛は年間2~3万本といったところでしょうか。有名なところでは、大阪府岸和田市のだんじり祭で使われる竹笛も当社製です。大分県は竹細工に使うマダケ竹材の生産量が日本一、かつ高品質ですから、全国から受注されるのです。
──1年間で数万個とは、ものすごい数です。
堀川 扱う竹製品が多いので、先代の頃から使用していた工場がだんだんと手狭になってきましてね。実はそれが、今回の事業承継のきっかけです。工場の移転候補地を探し始めたのは5年ほど前からなんですが、先代の他界後は他のことで手一杯だったこともあり、移転の話は一旦寝かせておいたんですね。それで、昨年から本格的に候補地探しを再開したところ、みらいしんきんさんと知り合う機会があり、ご担当の方から製竹業を営んでいらっしゃった竹本商店さんの工場をご紹介いただいたんです。
──製竹とは、加工の前工程のことですか?
堀川 そうです。伐採した竹はそのままでは加工に使うことができず、竹に付着した油分を落として虫食いやカビを防止し、加工しやすいように処理をする「湯釜(ゆがま)」という作業が欠かせません。この工程を製竹と言います。竹本商店さんは別府に残っていた数少ない製竹業者で、当社もここから加工用の竹を仕入れていたお取引先だったので、代表の竹本光一さんと直接お会いして話すことにしました。
──竹本さんとのお話が、事業承継と工場移転の加速につながったんですね。
堀川 竹本さんはご高齢かつ後継者も不在ということで、お会いした段階ですでに事業を畳まれており、機材の売却もされていました。工場用地も売却予定だったので、それでみらいしんきんさんに話をされていたようです。ですが、後継者については大分県事業引継ぎ支援センターに相談されており、ならば自分が、と、竹本商店さんの事業承継に名乗りを上げることにしました。この件で竹本さんと初めて話をしたのが昨年末。その後、引継ぎ支援センターを通じた調整を経て、契約調印に至ったのが今年の6月なので、半年ほどで事業承継が決まったことになりますね。やはり同じ竹産業に携わる者ですし、まったくの門外漢が承継するよりも安心感があったのではないかと思います。
■竹産業の課題を解決したいという想い
──製竹と加工では必要な技術やノウハウも違いますよね? そのあたりに不安はなかったのでしょうか?
堀川 そうですね。湯釜作業は、苛性ソーダを混ぜた熱湯に10メートル近い長さの竹を入れては油を拭き取る肉体労働です。それに、竹は自然物ですから1本1本形が異なり、すべてを同じようにまっすぐするには、熟練の職人による微調整も欠かせません。私たちにもそれができるようになるには、数年の修行期間が必要になるでしょう。ですが私は、竹本さんとのお話を通じて、製竹にも携わってみたいという想いを大きくしました。
──どうして製竹にも携わってみたいと思ったのですか。
堀川 私たち加工業者は、良質な竹材が入手しづらいもどかしさを慢性的に感じているからです。これは主に高齢化の影響で、マダケの作付面積自体は昔から変わっていないにも関わらず、製竹に携わる方が年々減少していることが理由として挙げられます。50年前の最盛期には別府市内に10軒近くあった製竹工場も、竹本商店さんが事業を畳んだ現在では1社が残るのみ。これでは当社だけでなく、別府の竹産業全体が衰退してしまうことは必至です。私はまだまだ若輩者ですが、だからこそ今回の事業承継を通じて若返りを図って、この課題に率先して取り組んでいきたいと考えています。
──なるほど。竹本さんとも、その想いを共有されたのですね。
堀川 竹本さんからは、「堀川さんは若いから新しい挑戦も何とかなるよ」と後押ししていただきましたね。それに今回のお話では竹本さんともうお一方、湯釜作業に長年携わっていらっしゃる職人さんも私の考えに共感してくださり、技術伝承の指導者を引き受けてくださいました。80歳にして、まだまだ現役。今でも山に入って竹の伐採をされている方です。この元気さは私も見習わないとな、と思います。
──今回移転された工場の印象についてもお聞かせください。
堀川 もともと製竹工場だったこともあり「申し分ない」の一言です。乾燥させる前の竹は重ねると下の方が蒸れてしまうので、立て掛けて保管してなければならないんですが、そうなると10メートル以上の天井高が必要になります。十分な広さがあって、かつ天井も高い場所はそうそう見つかるものではありません。また、湯釜作業では大量の水を使うので、水道水だと費用も馬鹿にならないんですが、この工場は井戸を引いており、その点も心配ありませんでした。本当に、非常に良いタイミングで事業承継ができたと思います。