女性ならではの直感力や視点を持ち、才覚を放つプロフェッショナルたちが集うコミュニティ「女性起業家・企業家プロジェクトiGC」。同コミュニティを運営する合同会社アイ.ジー.シーの宮脇恵理CEOは、次代を担う女性起業家たちの成長を後押しする事業に取り組んでいます。自らの経験から得た知見を活かしながら、大分から「女性が輝く社会づくり」を提案する宮脇CEOにお話を伺ってきました。
■結婚・出産・育児を経験してからも働きたい
──宮脇さんは学生時代に将来どのような仕事に就きたいと思われていましたか。
宮脇 高校生の頃はパタンナー(ファッションデザイナーが描いたデザイン画を元に型紙を作成する専門職)になりたいと思い、服飾の知識を学ぶため福岡の短大に進学しました。しかし授業を受けるうちに、私の性格には合わないのではと思うようになりました。そこで父に相談したところ、「大分にいい会社がある」と不動産会社を紹介してもらい、卒業後に入社させていただきました。
──社会人デビューはいかがでしたか。
宮脇 毎日が充実していました。学生時代はあまり勉強が好きな方じゃなくて(苦笑)、趣味や特技もなく、なんとなく過ごしていました。ところが入社後に企画や営業の担当となり、お客さまのご要望を叶えていくプロセスが楽しくて、初めて自分の居場所を見つけたような気がしました。
──約5年ほど勤務した後、宮脇建設へ入社されましたね。
宮脇 父が経営する宮脇建設では母も働いており、父を支える姿をずっと見てきました。ですから私も結婚と出産を経験した後も、ずっと働き続けるものと思っていました。ところが当時は「女性は出産したら子どもについてあげた方がいい」という考え方が一般的で、私が勤務していた不動産会社の女性社員の皆さんも出産後は退職されていました。
──産休や育休の制度が一般的に定着していない時代ですからね。
宮脇 長男が産まれた時、どうするか悩んでいたら、父から「じゃあウチを手伝うか」と言われたのです。うれしかったですね。しかも会社の中にベビーベッドを持ち込むことも許されました。社員の皆さんが育児に参加してくれたようなものですね(笑)。
■宮脇建設でITスキルを磨き上げる
──宮脇建設ではどのような業務を任されていたのですか。
宮脇 父の秘書的な仕事をしていたのですが、昔からパソコンが得意だった父は、土木建設業者向けの原価管理ソフト「MIYAシステム」を開発し、特許も取得しました。ところが、このシステムを使いこなすことに苦戦していた現場社員もいらして、彼らに代わって日々の入力など一連のサポートをするため、社内にシステム企画室をつくって私が専任担当者になりました。
──お父さまにとっては頼もしい存在だったと思います。
宮脇 しかし、その頃から公共事業の発注が減少しはじめ、土木建設業界が厳しい時代に突入しました。ゼネコンの破綻が続き、地方の中小土木会社も次々と淘汰され、宮脇建設自体もどうなるか分からない状況でした。それでも父は「MIYAシステムは建設業界を救うものになる!」と強い信念を持っていたので、2002年にシステム企画室を分社化し、システム開発・販売会社としてシステムミヤワキ有限会社を設立したのです。ところが、その矢先に父が他界してしまいました。
──かけがえのない方がお亡くなりになるとは、思わぬ不幸な出来事でしたね。
宮脇 その後、父の遺志を引き継いでミヤシステム株式会社が事業を継続し、IT技術の進化に伴い、システムそのものも順次アップデートさせていきました。私自身も全国の建設会社への営業活動を実践しながら、ITに関する知識も身につけることができました。この時にMIYAシステムの契約先各社を結ぶコミュニティを立ち上げたのですが、この仕組みが後にiGCが展開するビジネスモデルの原型なのかもしれません。
みやわき・えり/合同会社アイ.ジー.シー CEO/短大卒業後、1993年から大分市内の不動産会社で賃貸営業や経理業務を経験。1998年、宮脇建設株式会社に入社し、システム企画室に所属。2002年、システムミヤワキ有限会社(現・ミヤシステム株式会社)設立に伴い同社取締役に就任し、自社システムを全国展開。2013年、女性起業家のコミュニティiGCをスタートアップ。2015年、「SUITS」を運営する合同会社アイ.ジー.シー設立。2023年にはブランド部門を分社化したアイ.ジー.シー株式会社を設立。
■合同会社アイ.ジー.シー
大分県大分市大字横尾3836番地 ※MAP
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