絵本の世界を現実にしたような、個性的なキャンプ場「バルンバルンの森」。市から委託を受けて管理するのは、たしろかずのりさん・じゅんこさん夫妻です。荒れ果てた森を整備し、人々が集まる人気スポットにまで成長。紆余曲折あった20年の軌跡を聞いてきました。


満開の桜に心奪われて運営を決意

──キャンプ場経営を始めたきっかけを教えてください。
たしろ バルンバルンの森は1979年「洞門キャンプ場」としてオープンし、今では町営から市営に変わっています。私たちが初めて森を訪れたのは1999年春のことでした。知らないおじさんから「キャンプ場やってみらんかえ」と声をかけられたのがきっかけです。満開の桜に心を奪われ、森にひと目惚れしてしまいました。当初は荒れ放題の場所で、役所の人からも「やめたほうがいい」と言われる始末。却下されても計画書を役所に提出し続け、ようやくアルバイトとして関われるようになったのが2002年でした。そして2003年、ようやく指定管理業者となり正式に委託を受けて運営開始となったんです。

──キャンプ場の運営開始前後は、2人のお子さんがいて、さらにお腹に新しい命もある状況だったそうですね。途中で辞めようとは思わなかったのでしょうか?
たしろ 何度もくじけそうになりましたよ。その頃は、夫の林業が主な収入でした。ようやくキャンプ場で働けることが決まってもアルバイトだし、時給は700円。儲かるどころか、こちらが修繕費を出しているので赤字でしたね。でも、お金がないことよりも、やりたいことをすぐにできないもどかしさの方が大きかったかな。市営の施設ですから、役所から許可が下りないと何もできません。それでも自分たちの「好き」をどんどん詰め込んでいたら、どんどん愛着がわいて、離れられなくなっていました。

キャンプ場経営のみに集中したことが奏功した
──
荒れた森を整えるのは大変そうですが、お二人には楽しい作業でもあったんですね。ビジネスとして軌道に乗り始めたタイミングやきっかけは何だったのでしょう。
たしろ 2011年に「バルンバルンの森」と名付けたことが転機ですね。それまでは夫の林業ありきのキャンプ場経営でしたが、夫の疲れた様子が気になっていました。もっと笑顔で毎日を過ごしてほしいと思い、林業の会社を解散してキャンプ場に集中する覚悟を決めたんです。キャンプ場の売上は、ほとんどなかったんですけどね。でもキャンプ場に的を絞ったことで、手間暇を森に集中できるようになりました。すると、森がぎゅっと濃いものになり、売上も目に見えて変わってきたんです。

──手応えを感じた取り組みはありましたか?
たしろ コツコツとこの森を作り続けてきて「これをしたから爆発的に広がった」というものはありません。まだまだ届いて欲しい層に届いていない、知られていないですね。「バルンバルンの森」は、普段アウトドアにあまり接点のない人たちに知ってもらいたいんです。かわいいものや絵本の世界が好きな人、カフェや美術館めぐりが好きな人など。そんな人たちの目に入るよう、カフェや書店などにショップカードを置かせてもらったりしています。まずは知ってもらうことが大切ですから。今はキャンプブームで、テント泊の人が増えました。以前はバンガロー泊が多かったけど、今は逆転しています。ファミリー、カップル、女性同士のお客さんが多いですね。

※「第21回 たしろ じゅんこさん/バルンバルンの森(中津市) #2」へ続く

profile

たしろ・じゅんこ/株式会社バルンバルンの森、森を創造する人/中津市出身、中津商業高校(現中津東高校)卒業後、衣料品店にて接客・販売。2002年より「洞門キャンプ場」のアルバイトとして勤務。2003年に指定管理業者となり、中津市より委託を受け夫婦でキャンプ場の運営を開始。2011年に「バルンバルンの森」と名付ける。全国からファンが集まる個性派キャンプ場として人気を博し、現在に至る。
■バルンバルンの森
大分県中津市本耶馬渓町曽木459-9
※地図
tel:0979-52-3020
https://barunbarun.com

■インスタグラム
https://www.instagram.com/barunbarun_no_mori/

■クラウドファンディング「CAMPFIRE」
https://camp-fire.jp/projects/view/521731