第5回 ご先祖参拝のすすめ
皆さんは、ご自身の宗派などをご存じだろうか。
ご先祖様が戦死されている場合、命日や没地は?
さらに命日の法要が行われていることは、いかがだろう。
私自身は仕事を通じて有難い経験をし、先祖に対する哀悼の想いを持つことができた。
プロフィールに紹介されているとおり、私は2008年より鶴崎森町支店、東大分支店の2店舗の支店長を務めたが、在任中は随分と新規訪問に精を出した。訪問対象はエリア内の中小企業や小規模な事業所が中心だが、時間を見つけては神社や寺院を訪ね、宮司や住職にお目にかかっては有難いお話を伺ったものだ。
なにしろ鶴崎森町支店は、支店の目の前に九州最古の浄土真宗寺院である専想寺があり、鶴崎地区においては加藤清正が建立した日蓮宗寺院の法心寺がある。私は、いずれの寺院でも直にご住職からお話をお聞かせ頂き、その歴史や由緒に深く感動させられた。大分市都町から葛木に移転したきた日蓮宗 常妙寺に至っては、まだ顔見知りになって日が浅いにも関わらず移転の経緯をお話くださり、ご住職の褒章受章祝賀会にまでお招き頂いたことは感謝の念に堪えない。
そのようななか、鶴崎駅近くの大音寺は、ご挨拶の訪問をさせていただいた程度であったが、その後に大変お世話になるご縁となった。
父が急死の際、法要の段取りなど全くわからず、慌てて実家や親戚に相談したところ、我が手島家は国東市の浄土宗 浄国寺の檀家であることが判明した。しかし、ご住職は高齢で大分市内まで法要には行けないと言う。
そこで近くの浄土宗寺院を調べてみると、以前訪問していた大音寺が浄土宗だということがわかった。すぐに姫野ご住職に相談したところ、スムーズに通夜、葬儀、その後の月命日や周忌法要までお世話になり、その後の長いお付き合いが続いている。
そのようなことがあって以来、私は仏教に惹かれ、一昨年は総本山である京都知恩院をお訪ねした。亡父に対しては南無阿弥陀仏の精神で彼岸や盆の墓参りのみならず、毎日の仏壇へのお参り、毎週の墓参りも続けている。
また、お取引先様の葬儀や初盆会でお参りする機会が多い私ではあるが、今では斎場、仏壇などのセッティングを見るだけで、ほぼ宗派が分かるまでになっている。九州は浄土真宗が多いが、殆どが本願寺派と大谷派のいずれかである。臨済宗も多く、諸派に分かれていると聞く。
念仏で木魚を多用し、二重の数珠を使うのが浄土宗。葬儀で太鼓や金物で演奏を行うのが臨済宗。仏壇が金箔で覆われていれば浄土真宗本願寺派……。
このような知識が、自然と身についてきたようだ。
かつて私が支店長を務めた東大分支店は大分市新栄町にあるが、大分縣護国神社が店周にあったので着任早々に訪問した。
当時の小野宮司から温かくお迎えいただき、戦死者哀悼の精神を語ってくださった。私は父方の祖父が戦死していたことは聞いていたのだが、名簿からすぐに命日と没地が判明したのには驚いた。ご存知のとおり大分縣護国神社には戦争で殉職された約4万4千余柱が祀られている神社である。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊が神として祀られている神社とは趣が異なる。
ここで考えてもらいたい。
戦死者は自らの意思で戦ったのではなく、祖国のために戦ったのである。私の祖父・手島廣も昭和20年1月28日、故郷に家族を残して黄海で戦死した。
さぞや無念だったろう。辛かったろう。納得できなかっただろう…。
先祖を愛し、称える気持ちを、決して忘れてはならない。
それ以来、上京時には靖国神社を参拝するようになり、終戦記念日と祖父の命日祭には大分縣護国神社を欠かさず訪れ、お参りしている。
僭越ながら、皆さんにも、ご先祖への哀悼のお参りをお勧めしたい。