皆さん、初めまして。寝ても覚めても“書くこと”に囚われているフリーライター、竹林みかと申します。
遡ること13年前。ある人との縁をきっかけに、私はWebライターとしてふわっとデビューしました。今ではそれほど珍しくありませんが、テレワークで、しかもネット上で仕事を完結させるという働き方は「あんた、それ詐欺じゃね?」と両親や友人をずいぶん心配させたものです。
「Web用の文章を書く」という点でいうと、当時はノウハウも乏しく、SEO:検索エンジン最適化対策もブラックなものばかりでしたが、たたき上げのスキル(大門未知子か)をおもしろがってくれる同業界の方々のおかげで、ここ5年ほどはライティング講師としても活動をしています。
さてさて突然ですが、ご覧になっている皆さんは、ライターという職業についてどのような印象をお持ちでしょうか。
出版社や編集担当さんのような、カッチリしたイメージもあるでしょう。ですが、どこか「うさん臭い人たち」と思われる空気感があって、ズバリ私もそう思っていました。ドラマに出てくる登場人物で、うさん臭い大人はそのほとんどがライター。どうしても「週刊誌にゴシップ記事を書く人」の印象が強烈で、これは単にテレビドラマの見過ぎでしょうか。
本といってもいろいろですが、たとえば、週刊誌はオトナが好むピンクめいた「それほんと?」ネタ。反面、百科事典は襟を正すようなカタブツ。表紙に見るそのイメージは、実際に書かれている内容や信用度と近かったように感じます。
私が学生だったころは、かしこまった表紙の書籍とテキストが知識を得る唯一のツール。それこそ、百科事典を頼りに(いやむしろ完コピ。当時の知的財産権侵害はきっと時効)卒業論文を仕上げたものです。
当時は、本の情報=正しいと思い込み、その中身を疑いもしませんでしたね。
ワープロのような箱に、通信という魔法のプログラムが加わり、個人が情報をアップロードできるようになり…パソコンは勝手にアップデートを繰り返す百科事典級に日常生活へ溶け込みました。そこでは、真実だけでなく“ウソ・まやかし・主観”が万人の正解であるかのように語られています。
検索エンジンを開くだけで、多くの情報を無料で手にすることができるのはメリットとして大きい。しかし仮に検索を誤れば、想定外の情報へあっという間にいざなわれる。そして行きついた情報が、瞬時に閲覧した人の思い込みへとすり替わる。
思考や行動が、個人の経験やモラルに加え、閲覧歴と検索力にゆだねられているような気がします。
情報を疑う、ということを知らないまま社会に放り出された「本とWebの情報端境期」の私としては、現代の子どもたちが心底うらやましいです。今や、教育の場でそれを学ぶ機会があるんですからね。
パソコンやらスマホやら、情報ツールが手元にあるのが当たり前の現代。“すぐに情報を鵜呑みにしない”とか、“権利を守る”とか、情報モラルとかネットリテラシーとか…これって、自分の身を守り、上手に情報を使ってこれからを生きていくための力そのものです。
紙からwebへの移行スピードは加速度を増し、あらゆる広報活動もWebにシフトしています。
かつては情報のすべてだった本も電子化しはじめ、データになり、あっという間に塵となる。仕方ありませんね。読みつくせないほどの情報文字が天文学的レベルの数で、しかも毎日世界中で吐き出されているのですから。
そんな世知辛いWebの世界で、いかにして読んでもらえるか・刺さる言葉をひねり出すか、に日常を費やしているのがWebライター、私の浸っている沼仕事です。
これまでたくさんの文を書いてきました。誰かの人生を紐解くようなものや、日本では名の知れた方々の講演録…だけならどんなに幸せか。
実際は、商品やサービスの説明文にセールスレター、メディアサイトの更新用テキストなど、Web上の塵を量産してきた文字数のほうが圧倒的に多いです。実績といえば、ある住宅販売サイトで1年間売れなかった2千万円超の滞留在庫(新築建売住宅)の紹介文を書き変えたら数日後に売れた…ぐらいでしょうか。いや、私にとっては結構な自慢話です。
次回より、ライティング講座で取り上げているような、書き手側のコツめいた話や、Webで読まれる文章を書くための心得的な話題を紡いでいきたいと思います。
ひとつでも、ちょっとでも、見てくださる方の脳みそに引っかかるような、文章を書く上での有益情報をお届けできればと思っています。
そして第2回は“「俺が若かった頃はよぉ……」で始まる会話の意義と価値について”。
乞うご期待。