※第9回「もったいない」がすべてのはじまり。そして千秋楽 #1からの続き
■ゲリラ的!?に次々と実現させたイベントの数々
『ファンタジーウエディング』で勢いもつき?(笑)、いろんなイベントを立ち上げたり、関わったりしつつ、街なかライフを愉しんできた。
20年ほど前には、商店街の車道にテーブル椅子出しての飲食イベント『サンサンビアストリート』をスタートさせた。今では路上飲食も当たり前のように実施されているけれど、当時はこういうスタイルは一切ナシ。警察署の担当の方から「前代未聞!!」とまで言われながら、半ば喧嘩腰(?)で丁々発止やり合ったけど、最後は好意的な対応をしてくれるようになり実現できた。
2006年に初めて開催した大分市中央通りのホコ天では、スクランブル交差点の中央にリングをおっ建ててプロレスや諸々のイベントを実施した。この時もまた警察署からは「聞いていた話と設置場所が違う‼︎」と終了後にこっぴどく叱られたなぁ(叱られ役は商店街のお偉いさん方に一任しましたが、叱られるのは折り込みずみでブチ込みました)。それにしても、プロレスラーがコーナーから交差点の信号機近くまでブッ飛んだ姿は圧巻だった(笑)。
芸術文化振興に携わる大分の元気印、デンクパウゼの八坂千景さんが立ち上げた、まちなか劇団『ぶんご・ふない座』も思い出深いイベントだった。商人をはじめとする、まちなかに関わる人たちが舞台を演じるというもの。僕は俳優と脚本に携わらせて貰った。
演劇の素人集団で3年間にわたり実現させたこの催しは、それだけでも画期的なものだったが、大分市中央通りの四車線化問題で真っ二つに割れていたまちなかの人たちの関係を繋ぎ止める、極めて有用な歴史的イベントになったことも忘れてはいけない。
それから『こたつdeポン‼︎』なんぞを開催したかと思えば、割烹着居酒屋『けんめ庵』という1日限定呑み屋さんイベントを仕掛けたり。
そういえば、サッカーワールドカップ大分大会が開かれた2002年、敬愛する先輩の方々と『カラープロジェクト』ってのもやったなぁ。憶えてる方いらっしゃるかしら。大分のイメージカラーを、ブルーとオレンジにして建物を包んだりする壮大なイベント。
あれ、ホントは言い出しっぺのボス・宮崎和恵さん(もとシティ情報おおいた編集長、その後に社長)という、当時は首長より発言力があるとまで囁かれた女史の意気込みでオレンジ一色になる予定だった。でも、その頃は大分トリニータがJ1に昇格しそうな勢いで、トリニータカラーであるブルーのテンションが大分で急上昇中。このままだとプロジェクトに対する理解を市民から集められるかの自信がなく、策を弄してオレンジ一色を回避。ブルーとオレンジになんとか持ち込んだのは、手前味噌ながら僕でした(笑)。
■令和になっても「もったいない」
そんなこんなで、あっという間に月日は流れ、時は令和へと向かう。
平成から令和への移行は天皇陛下の崩御という、いわゆるネガティヴな契機ではない、初めて体験するものだった。しかし日本全体がどういうモチベーションで改元を迎えればいのか、ぼんやりとしていた。
まちなかも、なんとなくこのまま改元を迎えるんだろうな…と思っていたら、高校の同級生から、こんな言葉を刺された。
「いつもは『街でこんなイベントやるで』っち、さんざん言いよったに、ある意味初めての幸せモードの改元のときに、街はなんもやらんのかえ」
ハッとさせられた。
確かにこれほど「もったいない」ことはないじゃないかと。
そこで一念発起し、改元まで二週間を切る土壇場で、4月30日の夜から5月1日未明にかけてのカウントダウンイベントを立ち上げた。
おおいた都心まちづくり委員会の了解を取り付け、なんとか予算20万円を確保。開催場所は『こたつdeポン‼︎』で使い方の要領を得ていた(笑)ガレリア竹町ドームに決定。雨も関係ないしね。
予算が圧倒的に不足しているので、インフラにお金をかけられない。そこで、もっともコストがかかるステージには、(僕が得意とする?)ビールケースにコンパネを張ったシロモノで設営。ちなみにビールケース100個は、これまで付き合いの深かった酒の卸屋さんに無償で提供していただいた。
そしてミュージカルエスクのステージで、華やかにオープニングを飾ってくれた、いまをときめく田中なずなちゃんや、トリを飾ってくださった大分の音楽界の重鎮・ディアフレンズ等々、みなさん趣旨をご勘案いただき、友情出演に近いノリでご出演くださった。
「イベントの盛り上がりは、やっぱりお客さんに呑んでもらってナンボ」という昭和感覚の僕だけど、府内5番街商店街の安達理事長さん(当時)が、取引先からしっかり缶ビール100本確保してくれたのも嬉しかった。
とは言え、夜中の12時にガレリア竹町ドームに、一体どれだけの人が集まってくれるのか? 周りの疑心暗鬼な目をヒシヒシと感じつつ(笑)、僕はドーム周辺の飲食店を回り「12時のカウントダウンの時だけでもいいです‼︎ 呑んでるお客さんを12時直前にドームへ誘導してもらえませんか」と頼みこんだ。どこのお店も好意的だったな…。
■「もったいない」と「ひるまない」
コロナでいま世の中は停滞・疲弊している。
でも、いつかコロナが明けるのは間違いない。
その時に、「もったいない」という気持ちは持ち続けていたい。実行部隊は、もう有能な若い人たちに任せるとして。
ここまで書いたことは、もちろんひとりで立ち回ったわけではなく、その局面毎に同じ方向を向いて動いてくれる「素晴らしき仲間」がいてこそである。
巻き込んだり、巻き込まれたり(笑)、そんな人々がいる大分の街は愛おしい。
コラム連載の最終回はイベントに絞って書かせていただいたけれど、「たかがイベント、されどイベント」。一事が万事だと思う。
仕事に関しても同じ。
つい先日、「こん歳にまでなって、なんでまだ積極的な事業展開なんかに取り組むんかい?」と中学の同級生に言われた。
逆に驚いた。権勢欲や名誉欲なんてない。自分ができるであろうことを、やらなかった後悔だけはしたくない。それだけである。
それに大分に限らず田舎はどこでもそうかもしれないが、「言い出しっぺが損をする」的な雰囲気がある。僕も「手を挙げて モノを言ったら やらされる」を地で歩いてきた。でも「言い出しっぺになって、やらされてもいいじゃないか」という人が、少しでもコミュニティに増えて行くことを願ってやまない。「もったいない」を無くしていくということは、即ち地域の、そして自らの可能性を諦めないことだ。