数年前から、年末の12月30日にガレリア竹町ドームで開催していた件の『こたつdeポン‼︎』は、コロナ禍で一昨年に引き続き今回も中止と相なった。
街の若手に運営をほぼ託したとは言え、各方面から「今年もせんの?」「来年は絶対ね‼︎」の声を聞くと、残念感は改めてテンコ盛りに。さぁ、コロナから解き離れて今年こそ、若者ヨロシク。
1998年5月に転勤族のサラリーマンから足を洗い、大分に帰郷してから今年で24年目。 約20年、地元を離れていたため、当時は大分のコミュニティに知り合いはほとんどおらず、世間から「どこの馬の骨ともわからんやつ」的な扱いを受けつつ、もがきながらスタートした地元生活。
しかし、あっというまに昨年還暦を迎え、僕からすると御老公なイメージの「街のドン」とか「街の重鎮」というような、自分としては極めて遺憾な(笑)呼び方を、いつのまにかされるに至ってしまった。
ということで、うれしいことに既に若者が育ってきた大分の街で、自分が取り組んできたいろんなことの一部を、まっこと僭越ながら、ことイベント関係に限っておさらいして、千秋楽の結びとさせて頂きます。
■「もったいない」が僕の原点
これまで何度も書いてきたけれど、大分に帰ってきてずっと感じてきたのは「もったいない」だった。僕のいろんな取り組みは殆どがそこから始まっている。
大分に帰ってきた一年目の冬、県庁の角から遊歩公園に曲がり込んで入った時、「うわぁ!なんち綺麗なんや‼︎」と率直に感じた。当時は『おおいた光のファンタジー』というイルミイベントが毎年開催されていて、メイン会場は遊歩公園だった。遊歩公園のそれは、当時としては本当に美しくボリューミーだった。
ただ、その時に思ったのが「でも、もったいない」。
あー、綺麗だな。でも、そこで終わってる。両側は車道でうるさいし。
やはり光はいい音と重なることで、相乗効果が出て来るし、人を癒してくれる。そう信じていた。
だが、当時は商店街の役員になったばかりで、なんの権限もなかった。
そこで「個人でも何かできないか」と考え、毎週末の金曜と土曜にひとりで商店街のアンプとスピーカーを遊歩公園に持ち込みセッティングし、“場”に似合う音楽を流した。
「これでアベック(笑)も喜んでくれるぞ〜!」
ある日、終了時間が来て撤収していたら、スピーカースタンドのネジを緩ませそこね、載せていたスピーカーが落ちてきて額に激突。顔面流血の惨事になった。前から歩いてきたカップルの女性が、そんな僕を見て「ゲッ!」と気味悪がって僕を避け、彼氏とともに逃げるように立ち去った。
「アンタたちのためにしよんのに…」
というような、哀しくも情けない顛末もあったな(笑)。
■ひらめいたら、すぐ実行!
遊歩公園には藤棚のようなものがあり、イルミイベント時にはその前にイルミ装飾された細長いゲートが設置されていた。それを見た瞬間、「ここで結婚式をするしかない‼︎」と思いっきり決めつけた。
こういう決めつけは大事なのだ。ゲートの下にはヴァージンロード。藤棚で誓いの儀式。絵が一瞬にして浮かび上がった。
いつか実現させたいな〜と思っていたら、そのイルミネーションの運営会議にたまたま商店街の理事長代理で出席する機会が巡ってきた。「しめた!」と思い、「遊歩公園で結婚式をやりましょう‼︎」とプレゼンをぶった。
しかし…。
参加者のお歴々は明らかに「誰や、この変なこという素っ頓狂なやつは」というシラケた目で僕を眺めるだけ。「ドン引きとはこのようなことを言うのか…」というほどの寒さに包まれ、その案は端にも棒にも掛からないまま、会は閉じた。
ところが世の中は面白いもので、その翌々年に僕は商店街の理事長となり、こともあろうかそのイルミネーションイベントの実行委員長のお鉢が回ってきた。「名前だけの実行委員長なんてクソくらえ‼︎」が信条の僕は、もう自ら仕掛けるしか無いと、さっそく結婚式のコンテンツを立ち上げた。
その名も『ファンタジーウエディング』!
結婚していてもいろんな事情があって結婚式を挙げられないままになっているご夫婦とかいるはず。そんなお二人に、ぜひとも遊歩公園で公開結婚式をしてもらおう‼︎というものだった。
式を挙げてもらうカップルは、大分合同新聞 の『ぶんぶん』欄で募集した。すると、そういうご夫婦はやはりいて、応募がしっかりあった。素敵なお二人だったな。
イベントそのものは、いつも理解を寄せてくれるイベントプロデューサーの首藤早苗さんに協力してもらい、二人で駆けずり回った。
なにせ当初の予算は7万円。新婦のウエディングドレスと新郎のタキシードは、サンサン通り商店街のヴィーナス美容室さんが無償提供してくれた。これまたボランティアで本物の神父さんも来てくれ、皆の前で誓いの言葉を交わす人前結婚式を執り行った。
ヴァージンロードの両脇は、二人を祝福する街の人々で埋め尽くされた。遊歩公園で初めて顔合わせする両家の親族。式が終わった後は近くのお店でご両家の会食もセットした。
この『ファンタジーウエディング』は、イルミネーション事業が終わるまで5年間続き(一度も応募者が途切れなかったのは自分でも驚き)、『じゃらん』のイベント紹介ページのイメージ写真等にも使われ、イベントの代表的なコンテンツとなった。
本気で取り組む姿勢を感じ取ってくれ、翌年から予算を数倍にしてくれた主催のTOSと大分市の関係者には、あらためて感謝!!
このイベント以降、いまだに年賀状やSNSのやり取りをしているご夫婦もいる。
「もったいない」から始まり最初にカタチになったイベントでもあり、いろんな意味で想い出深い。