「第4回 コロナの先に見えるモノ #01」からの続き
この新型コロナの時代は、壮絶な淘汰の時代だとも思っている。
会社として売上面では厳しかったものの、自らの事業を極めて客観的に冷静に見ることができた機会でもある。何が足りなくて、どこを無意識にサボっていたのかと言うことを痛切に思い知らされた。アフターコロナとなった時、自らはどうあるべきなのかをしっかりイメージし、そのためにはいま何をしておかなければならないのかをとことん考え、悶え、動かなければならない。新しい時代に淘汰されないためにも。
緊急事態宣言が解除され、大分県は現時点把握される陽性患者もゼロとなり(6月15日現在)、「新しい生活様式」という錦の御旗の下ではあるが、漸く世間は落ち着きを取り戻しつつはある。
大分県のフェイスシールドを被っての新しい宴会のカタチの提案もあった。
報道されたばかりの時は「ここまでして飲まなきゃあかんの?」というようなネガティヴな反応が渦巻いたが、そもそもいろんなカタチの提案の内のひとつであり、いまやフェイスシールドをしていろんな取り組みが全国で見られるようになっている。
府内5番街では『OPEN AIR SAKABA』なる路上飲食イベントを展開し、非三密の環境の中、ジャズを中心とした大分の錚々たるミュージシャンの演奏を愉しみながら、街なかならではの上質なひとときを提供している。田崎洋酒店の前のテーブルでミニオペラを聴きながら一杯、オースリアブーチョの前のテーブルに座り行き交う人とたわいない言葉を掛け合いながら一杯。まるで憧れていたヨーロッパの風景のようじゃないか(言い過ぎか笑)。
これまでは先例・前例がないものを拒絶し、フレキシブルでポジティヴなユルさを実現しにくかった世の中だった。ところが、このまさしく“先例・前例がない”新型コロナというものが、結果的にその呪縛を解く働きをしているとも感じている。
コロナが終わっても、世の中はコロナ前の通りには戻らない。いろんな犠牲や苦悩を伴いつつ、明けた先にはこれまでとは大きく価値観が異なる世界が待っていることだけは間違いない。しかし、その新しい価値感は、残念なことばかりではないはずだ。
大事なことはこの状況の中でいかに先を見据えたポジティヴな思考を巡らせるか。やはり「イシュクせず」進むことである。悲惨なことだけが待っているアフターコロナの時代では、決してないと。
ココロまでは感染させじ。