冬の真っ最中で、寒い日が続いています。こんな時期に、立派なメロンが育っていたら、びっくりしますよね。
それが、今から90年近く前の別府のことだったとしたら、なおさらでしょう。

今回掲載したのは、明豊中学高校の山手にあった麻生農園の絵葉書です。
温泉熱を利用した温室の中に、ネットをかけた、ずっしりと重たそうなメロンが、ずらりと並んでいます。この写真は、昭和10年(1935)ごろだと思われます。さすがに撮影は暖かい時期だったでしょうが、冬でもメロンが採れたのです。

この連載の第1回で、明豊の南側一帯に、筑豊の炭坑王・麻生太吉の広大な別荘があったことを紹介しました。その麻生太吉は農業にも大変関心を持っていたので、別荘の近くに農園を開いたのです。それが麻生農園、正確には株式会社麻生商店の別府農園です。高級な果物や野菜や花を育て、広く販売もしていました。

農園の主任は、川田十(かわた・かぞえ)という優秀な農業技師でした。私は、ご子孫の厚意で、その日記を読ませていただいています。

たとえば、昭和14年(1939)12月の日記には、福岡県飯塚市の本家、つまり社長宅(麻生太吉はすでに亡くなり、孫の麻生太賀吉が2代目社長に就任していました)にメロンや野菜を送ったことが書かれています。来別した京都大学農学部教授の松本熊市博士にメロン、トマト、キュウリなどをプレゼントした、とか、入院している人へお見舞いに送った、という話も出て来ます。

冬ではないのですが、同年6月には、朝香宮殿下に大分県が献上するメロンの準備をした、とか、公会堂裏手の高級旅館・中山旅館からメロン・スイカの注文が、大和田別荘からはスイカの注文があった、と書かれています。
大和田別荘とは、福井県敦賀市の大和田銀行創設者、大和田荘七のことです。俳優の大和田伸也兄弟とは同じ一族で、病気療養のため別府に移住していました。

このように、麻生農園のメロンは、宮様への献上品をはじめ、賓客への贈り物、富裕層の需要にも応える、ぜいたくな生産品だったわけです。
そして、温泉熱利用の温室栽培で、珍しい果物や野菜を育てる麻生農園は、先進的な取り組みをしている施設として注目される存在でもありました。日記によると、連日のように、全国から農業関係者などが視察に訪れていました。

川田十自身も、たとえば昭和15年(1940)に園芸功労者として表彰を受けています。社団法人日本園芸会が発足50周年記念で全国各県知事などから推薦してもらい、118人を選出。大分県からは、ただ1人、川田十が「蔬菜高等栽培及指導功労者」として選ばれたのです。

メロンとは直接関係ないのですが、日記に出てくるある有名人のことをお話ししましょう。
この昭和15年の日記には、2023年度前半期のNHK朝ドラ「らんまん」の主人公となった植物学者の牧野富太郎博士が登場するのです。
この年の11月に転落事故で怪我をした牧野博士は、12月にかけて大分・別府に滞在しています。
日記では、11月24日に大分駅前の丹下旅館に博士を訪ねたことから始まり、12月2日には別府の寿楽園(今の別府市社会福祉会館付近にあった高級旅館)に移っていただき、17日には温研(今の九州大学病院別府病院)へ診察にお連れし、「温療法」を受けています。おそらく、「温泉泥」を使って、患部に温湿布するような治療法だと想像します。
23日には、息子も連れて旅館を訪ね、観海寺や今のラクテンチあたりで採集した植物の鑑定をお願いしています。26日には船で旅立たれるのを見送っています。
別府滞在中、何度も牧野博士と身近に接してお話ができ、川田十にとっては、非常に幸福な日々だったようです。

戦前の別府というと、すぐ思い浮かぶのは、地獄巡りや鶴見園、ケーブルカー(今の別府ラクテンチ)といった娯楽施設、数多くあった旅館のことなどかと思いますが、全国から注目されるような農業施設もあったわけです。いやはや、別府の歴史は奥深いなあ、と思います。

最後に、あらためてですが、今回のようなお話ができるのも、川田十がまめに日記を書き記し、それをご子孫が大切に保管してくださっているおかげです。

※メイン画像説明
麻生農園の温泉熱利用の温室にたわわに実る高級メロン

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小野 弘
おの・ひろし:1953年、別府生まれ。別府の絵葉書収集家、別府の歴史愛好家。今日新聞記者時代に「懐かしの別府ものがたり」を長期連載。現在も公民館で講演するなど活動中。