先月末、出張で岩手県の盛岡市に行ってきた。

盛岡市には私の会社の古くからの取引先があり、先方にはこれまで何度も大分県に来てもらっていたのだが、私の方はといえば、なかなか出向くタイミングが見つけられずに今日に至っていた。今回「シン・ゴジラ」の公開にあわせて展示イベントをやることが急遽決まり、私自身が設営作業を行うために出張することになった。私にとっては初めての盛岡だ。

盛岡の取引店舗は中心市街地に位置する商業ビルの中にあり、約10年前に建てたテナントビル自体を運営している。1Fにスーパー(食料品)があり、2Fに文具・雑貨・スポーツ、3~4Fは書籍、飲食、レコード店、そして最上階5Fにシネマコンプレックスを持つ、コンパクトで感度の高い情報発信基地だ。

大分空港を飛び立って東京で新幹線に乗り継ぎ、盛岡駅に着くまで約5時間30分。思っていたよりずっと近い。翌日は終日作業日で朝から3M級のゴジラを組み立てながら、地元メディアの取材を受けた。新聞・テレビ・ラジオ、合計6社の取材を受け、その日の夕方にはニュース番組で放送され、翌日の朝刊には一面で大きく紹介された。宿泊していた宿の女将さんも朝食の時から「すごいねー、すごいねー」とたいそう感激してくれて、嬉しいやら気恥ずかしいやら。おまけに帰り際にはお土産に「ふきみそ」までいただいて、とにかくこれ以上ないと思われる歓待を受けた。

1608_column_76684792
私にとって取材を受けてメディアに載ること自体はそれほど珍しいことではない。私の仕事は世間的に珍しい仕事であるし、廃校利用や週休三日制など、ニュースには事欠かない。平均すると年間30件ほどの記事掲載と放送がある。けれども製品/商品の紹介となると報道に載る機会は限られるし、小さな会社だから全国規模で有料広告を流す余裕もない。だから例えば岩手県の人たちに製品情報を伝えようとしたら、全国ネットの番組に取り上げられなければならない、つまりは東京を介さなければ伝わらないということだ。

インターネットの時代になったとはいえ、ネットを日常的に使う人口は限られる。全年代に対応するプッシュ型メディアの長はいまだにテレビと新聞、特に地方では地元紙が力を持つのだ。そして自分の住む県以外の地域に情報を発信しようとしたら原理的にはいったん中央に集められて配信されることになる。そういう意味で今回の盛岡の仕事は例外的だった。当たり前のことだけど、わざわざ中央を介さなくとも直接行けばよかったのだ。

肝心なのは人と人との繋がりだった。モノを介して人が繋がる、これは単に売り買いの話ではない。私と盛岡の経営者は歳も近く、考え方も共通するところが多かった。なにより彼は私たちの製品に対する理解が深く、そういう意味ではもっとも信頼できるビジネスパートナーのひとりだ。滞在二日目の夕方、ビルのテナントや近隣の友達が集まってバーベキューパーティーが行われていた。私も誘われて参加することになったのだが、そこには私が地元国東でメンバーとして参加しているのと同じような地域コミュニティーがあった。皆自分たちの住む街を愛し、誇りを持ち、そして可能性を語りあっていた。私たちと同じだ。

おそらくはこの国のいたるところで、同じような地域コミュニティーがあり、それぞれの場所で自分たちにとって何が本当の豊かさなのか、語り合っていることだろう。涙が出そうになる。まだまだ日本も捨てたものではないな、と本当にそう思った。

1608_column_78153941

最終日の午前中、市内の名所を案内してもらって、定番の冷麺を食べて盛岡を発った。盛岡の皆さん、大変お世話になりました。 また一つ、自分にとっての避難所ができました、ありがとう。

東日本大震災の年以来、夏のこの時期はニューヨークの展示会に出展することが常となっていた。5年間続いた展示会も今年はお休みして東北岩手に行くことになったのだが、初めてニューヨークの展示会に出展した2011年の5月、そこで出会ったニューヨーク在住のアーティストたちから声をかけられた。東北の子供達を勇気づけるために協力して欲しいと。私たちはお金も無いし人も出せないから、在庫していた d-torso の製品5000個を被災地に送った。そしてニューヨークから帰ってきたアーティストたちが東北各地で音楽と絵画とd-torsoの組み立てワークショップを行ってくれたのだった。

すべては人の繋がりなのだ。モノが人と人を繋げることができるとしたら、私たちモノづくりの現場にいる人間としてはこんなに誇らしいことはない。

同じように、ニューヨークのd-torso 展示会の仕事を通じて出会ったWさんは若くして自ら人材派遣業の会社を経営し、映像のプロデューサーで、女優で、歌手で、ライターでもあった。そしてとびきりの美人でもある。ある時私は彼女に聞いた。
「そんなに働いて君は本当のところ何がやりたいの?」
彼女は一言、「Change the world」 と。
世界を変えたい、なんだかゾクッとする言葉だ。やっぱりそれしかないよな、と納得する。まさに完璧な答えだ。世界は自分の足元にある、まずそこから変えていくしかない。

人になにかを伝えることはとても難しい。親しい間柄であるほど困難さも大きいのではないかと、この頃私は考えるようになった。結局のところ、伝えたい相手に伝えたいことを伝えるのは、他者を迂回する必要があるのかもしれない。他者とは世間のことである。
けれどもどんなに高い障壁があったとしても、人に何かが伝わったときにはそれまでの困難が吹き飛ぶくらい幸せな気持ちになる。だからいまさらやめるわけにはいかない。
1608_column_118592851
さて、今回で11回目となるコラム:マツオカ雑感。来月が最終回となります。本稿に書いたとおり、人に何かを伝えることはほんとうに難しいです。私の拙い文章力ではなおさらです。ここまでお付き合いいただいた読者の皆さんには感謝するしかありません。最終稿ではもういちど「お金と時間」について掘り下げてみたいと思います。
では来月もお楽しみに。

profile

松岡 勇樹 氏
(まつおか・ゆうき)

1962年大分県国東市生まれ。武蔵野美術大学建築学科修士課程修了後、建築構造設計事務所勤務を経て、独立。1995年ニットデザイナーである妻の個展の為にd-torsoのプロトタイプとなる段ボール製マネキンを制作。1998年、生まれ故郷である国東市安岐町にアキ工作社を創業、代表取締役社長。2001年「段ボール製組立て式マネキン」でグッドデザイン賞受賞。2004年第二回大分県ビジネスプラングランプリで最優秀賞受賞、本賞金をもとに設備を拡充、雇用を拡大し、現在の事業形態となる。2009年から、廃校になった旧西武蔵小学校を国東市から借り受け、事業の拠点としている。日本文理大学建築学科客員教授。
■「d-torso」ウェブサイト
http://www.d-torso.jp

■アキ工作社ウェブサイト
http://www.wtv.co.jp