先ごろ公開になった映画「シン・ゴジラ」。総監督・脚本は庵野秀明だ。
あのエヴァンゲリオンの庵野がゴジラを撮るということで映画公開前から大きな話題となっていた。同時代の作家として、わたし自身も彼のジブリ時代の仕事、ナウシカの巨神兵から「新世紀エヴァンゲリオン」を通して直近の「巨神兵東京に現る」までずっと注目して見ていたから、公開を心待ちにしていたのだった。
そして、もうひとつ注目していた理由がある。
私が代表をつとめるアキ工作社は、昨年から東宝とライセンス契約を結んでゴジラモデルを作り始めた。最初に作ったのは1954年公開映画、本多猪四郎監督の初代ゴジラをモチーフにした製品である。この映画はご覧になった方も多いだろうが、素晴らしく完成度の高い映画である。敗戦後10年経っていないこの時期にこれほどの映画が撮れたというのは本当に驚嘆すべきことだ。その後ウルトラシリーズを撮ることになる円谷英二をはじめとして、戦争から復員してきた特撮スタッフが結集して、まるで先の戦争と敗戦後の社会状況の鬱憤を晴らすかのように、渾身の力と技術が注ぎ込まれた作品となっている。伊福部昭の音楽も素晴らしい。全編に流れる、コントラファゴット、チューバなど管楽器を基調とした重厚なゴジラのメインテーマは今聞いてもまったく色褪せていない。
私が特にゴジラをd-torsoで作ってみたかったのは、ゴジラを成立させている構造そのものに興味を持ったからだ。戦争と2発の原爆、そして敗戦と復興する日本。言葉では語りきれない「何か」をゴジラは語ろうとしている。大怪獣という異形の造形をもって。私はその何かを分解して、文節して、自分なりのゴジラを再構築してみたかった。これは作家としての純粋な欲望だ。
ちょうど東宝と契約交渉を行っている頃、新しい国産ゴジラ映画の製作の話が持ち上がっていた。まもなく撮影陣の概要が伝わってきて、庵野氏が撮るということを知った。まさにぴったりの人選だと思った。現代のゴジラを撮るのはたぶんこの人しかいないだろうと。
庵野監督が撮るのであれば、まちがいなく初代ゴジラを踏襲するものになるであろうことは予想できた。製作にかかる前から1954年版ゴジラを何回も何回も繰り返し見て研究した。映画を見るとあらためてわかるのだが、ゴジラが登場するカットは意外に少ない。全身が映るカットはほとんどないと言っていい。ゴジラ像はディテールの集積なのだ。それも背景要素の集積。これがゴジラの特徴でもあり、d-torsoの構造的な特徴とも通じるところだった。
そして東宝から「シン・ゴジラ」のデザイン詳細が届いたのは数ヶ月前、そこから実際のd-torsoのモデル製作がはじまった。今回のシン・ゴジラはフルCGで製作された。d-torsoの製作も映画で使われたものと同じCGデータをもとに製作することになった。
ここでd-torsoの設計作法について少しだけ解説しておこう。多分に感覚的なものなので、わかりにくいかもしれないけど。
d-torsoの設計ルールはいたってシンプルで、対象となるフォルムをx軸、y軸、z軸の互いに直行する3軸でもってCTスキャンのように輪切りにしていく。そうして抽出された断面形をもとにひとつひとつの部品を設計する。これはよく勘違いされることなのだが、コンピュータが自動的に部品を生成していくわけではない。ひとつひとつの部品はそれぞれの断面形をトレースし、その後変形・抽象化していく。完全なアナログ作業だ。今回は頭頂高2Mのバージョンから設計に取り掛かったのだが、個々のパーツの精度は0.05mm単位でベジェ曲線を出し入れして調整していく。
設計の一番の肝は最初に設定する軸線の位置にある。つまりどこで切るかということ。写真は女性ボディーの試作品であるが、首と肩と腰、脚の位置でゆるやかなひねりがある。このときはx軸周りに40度回転を加えて切断し再構築することによって女性ボディーのエロティックな動きを再現した。どこで切ればその対象の特徴線が抽出できるのか、設計者が最も腐心するところだ。
切断軸とモデルの特徴線の関係において、すべてのd-torso造形に共通して言えることは、ストロークの長い部品が全体を支配することになるということ。つまり生物態の場合は正中線、脊椎の位置にあたる。そして次に手脚の軸線、これらの部品が動きを表現する。私自身の造形感覚的な言葉で言うと、ストロークの長い、つまり振動周期の長いカタチを縦軸にして、それと直行する部品を設計し、ミニマルなリズムを刻んでいく。私自身は音楽を編成するときの手法に似ているかもしれないと思うことがよくある。ストロークの長い部品が旋律を形成し、ストロークの短い部品がリズムを打ちこむ、そして隣り合う部品と少しずつズレながら畝りを形成していく。それぞれの部品は等価でそれぞれの位置で固有の振動数(=響き)を持ち、それが全体に響きあってひとつの像を形成する。
どうだろう。伝わったかな。伝わらないだろうな。
さて、シン・ゴジラの話に戻ろう。最終的にd-torso「シン・ゴジラ」モデルは405個のパーツから構成されることになった。これまでの製品のなかでも最大級のサイズと部品数だ。長い尻尾が特徴的な今回のゴジラ、必然的に尻尾の造形が決め手になった。設計に費やした時間は一ヶ月以上、通常の製品が平均48時間で製作されていることに比べれば異例の設計時間なのだが、私としては設計に取り掛かってから一度も後戻りすることなく最短時間で作ることができたように思う。昨年の夏に初代ゴジラを解体してモデル化した経験が活かされたのだろう。今回のシン・ゴジラの設計にあたっては自然と切られるべき切断軸が浮かび上がってきて、すべての部品を最後まで集中力を持って設計することができた。私にとってはとても刺激的な時間だった。
正直に言って、こういう充実した仕事に出会うことは滅多にない。年間15〜20件の設計をやっていても、がっぷり四つで取り組める仕事は年に1件あるかどうかだ。そういう意味では今回のゴジラモデルはd-torsoとしても代表作になったと思う。関係者の方々にあらためて御礼を言いたい。
最後になったが、庵野秀明総監督の映画「シン・ゴジラ」を一昨日見てきた。期待を裏切らない最高の出来栄えだったと思う。もとより、リメイク映画はオリジナルを超えることはできないのだから、その覚悟をもってどこまでオリジナルの完成度に肉薄するかが製作陣の目標となったことだろう。すべてのシーンにおいて1954年版のゴジラを踏襲しながら、オリジナルを解体し、現代版として再構築して見せた庵野秀明監督の力量に脱帽するばかりである。初代の「ゴジラ」も庵野版の「シン・ゴジラ」も共通するのは「怒り」と「祈り」だと私は感じた。そういう意味では戦後はいまだに終わっておらず、私たちは解決されずに残された大きな問題を抱えたまま日常を過ごしている。ゴジラそのものが大きな「問い」なのだとあらためて感じるのだった。
この映画について語りたいことは山ほどあるのだが、これ以上の感想はこれから映画を見る人の妨げになりそうなので控えたい。
皆さん、映画を見に行ってくださいね。そしてできれば、1954年版の「ゴジラ」を見てから「シン・ゴジラ」を見ることをお勧めします。面白さが倍増することは私が請合います。
■映画「シン・ゴジラ」公式サイト
http://shin-godzilla.jp