私の実家のお墓は国東半島の空港近くの海岸線にある。
昭和51年に祖父が亡くなったときに私の父が建てたもので、祖父母がここに眠っている。私の祖父、武造(ぶぞう)は幼少の頃、祖父の実家の松岡家から今の松岡家に養子に来て家を継いでいる。ふたつの松岡家には親戚関係はなかったらしいが、同じ松岡姓であったことは縁だろう。現松岡家は曾祖父、松岡愛次郎の頃までは七島藺問屋だった。当時の国東は七島藺づくりがとても盛んで実家もたいそう羽振りが良かったらしいが、愛次郎さんの遊興が過ぎてついに家屋敷を失い没落したと聞いている。それでも養子先の松岡家で学校を出して貰った祖父は当時では珍しくサラリーマンとなって暮らしを立てた。
祖父が亡くなったのは昭和51年、享年77歳。ということは明治32年(1899年)の生まれである。この年に幕臣勝海舟(享年77歳)が亡くなっているからおおよその時代背景が想像できる。いや、かえって混乱してしまうか。とにかく、有名人も無名人も死んでは生まれそしてまた死んでいく、その繰り返しなのだ。今この時点から、過去の時間にはおびただしい数の人間が亡くなってすでにお墓に入っている。そして未来にはそれと比較できないくらい多数の人間が亡くなるはずで、死者の総数は人類が絶滅しない限り無限に増え続けるのだ。
「足りるんだろうか?(お墓は)」という素朴な疑問が、私がお墓について考え始める出発点だった。
いま少子高齢化時代といわれる。人口減少問題はこのコラムのなかでも取り上げたが、少子化が実際に影響を及ぼすのはもう少し先のはなしで、今現在の日本の人口減少の直接的な要因は死亡数が増えているということだ。1990年代以降死亡者は徐々に増え、2005年には年間死亡者は100万人を超えて今は130万人近くの人間が1年間に亡くなっている。そしてこれからさらに増え続けることが予想されている。
お墓について調べてみると、これまで知らなかったことがいろいろと出てくる。たとえば地域による埋葬方法の違い。東日本ではお骨はすべて拾って骨壷に納める。だから骨壷も大きい。そしてお墓には骨壷のまま納める。そのためお墓の底部はコンクリート打ちされている。いっぽう西日本では事情が異なる。火葬されたお骨は主要部分だけを拾って納める。お墓の底部は土の状態でそこに散骨されるのだそうだ。松岡家の場合はというと(実際私も祖父母のお骨を拾ったのでよく覚えているが)、お骨は主要部分だけ拾い、そして骨壷のままお墓に入れる。お墓の底部は土が露出している、東日本式と西日本式の中間というところだろうか。
戦後すぐの日本では土葬と火葬の割合は半々くらいだった。いまでは国民の99.9%は火葬にされる。おそらくは衛生上の理由から、また埋葬効率の観点から今あるようなお墓の形態が戦後一般化していったのだろう。いっぽう欧米社会、キリスト教圏の埋葬は映画などでよく目にするように土葬が主流だが、実は火葬も少なくない。ただ日本と異なりお骨を綺麗に残すような焼き方ではなく、長時間高温で灰になるまで焼く。そしてその灰は骨壷に入れて墓に埋葬するのではなく、撒いてしまうのだそうだ。
近年日本では葬儀自体が簡略化される傾向にある。直葬(ちょくそう)と呼ばれるものでこの20年くらいで急速に増えている葬儀の方法だ。今や病院や老人施設における「死」は年々増加し全体の85%を占める。病院や施設で亡くなった人は自宅に帰ることなく葬儀会場に運ばれる。あるいは葬儀そのものを省略して火葬場に直行し埋葬されることもある。通夜、葬儀、告別式などはいっさいなしだ。火葬場でお寺さんと待ち合わせし、炉の前で短いお経をあげてそのまま僧侶は引き上げるのだそうだ。首都圏ではすでに4分の一が直葬になっているという調査もある。なんとも寂しいはなしではないか。
直葬が増えている原因は葬儀にかかる費用の問題も大きい。一般的葬儀にかかる費用としては100~120万円の価格帯がもっとも多いが、直葬の費用は15~30万円と一般葬に比べてはるかに安い。都市部ではお年寄りの単身世帯が年々増え、孤独死は決して珍しいものではなくなった。経済的な理由や無縁者が増えている状況のなかでこの直葬が将来的に多数を占めていくことになることは容易に想像できる。そもそも直葬の普及は自宅で死を迎えることが少なくなったことから発している。家の中から「死」が消えつつあるということだ。これは「家」を単位とした社会システムが崩壊し、単位が個人に代わっていった結果だろう。なんとも複雑な心境だ。単に寂しい時代だと嘆いてばかりはいられない。なにかとても大切なものが壊れようとしている。人間の尊厳そのものが脅かされているということではないのか。
お墓の厄介なことの一つはお墓をお守りする人がかならず必要になるということだ。たとえば田舎で生まれ育った子が都会に出て行ってそこに住み着いたとする。親が生きている間は親が田舎の墓を守るが、彼らが亡くなってしまったらお墓を管理する人がいない。あるいはお墓を移すことも考えられるかもしれない。しかし移したお墓も次の世代がお守りできるとは限らない。お墓はこれまで常に次の世代に受け渡しながら守っていくモノであったから、家という制度がなかば崩壊しつつある現代ではお墓を代々管理していくのはとても困難な状況だ。そして少子化が進む現代では今後さらに問題が大きくなることは予想できる。
現代のお墓の形態は戦後復興、高度成長、バブル経済を経て定着したカタチである。歴史的にはとても底の浅いものだ。それが日本人のライフスタイルの急速な変化とともにふたたび変容を求められている。もう一度家制度の復活をという声もあるだろうが、残念ながらそれは無理だ。事態は不可逆的に進行している。村落共同体が解体され、家が解体され、儀礼、儀式が簡略化され、ついには消えようとしている。これは仏教寺院についても同じで、現在全国のお寺の数は7万7千ヵ寺、そのうち住職がいない無住寺は2万ヵ寺、廃寺になっていくお寺はどんどん増えていく。ちなみに全国のコンビニの数は現在5万2千店。そのうちこの数は逆転するだろう。もはやお寺が時代の要請を受けていないということなのか。
日本人は宗教を持たない国民であると言われるがそれは間違っている。生まれた時から始まって、お宮参り、七五三、厄払い、初詣などなど生きている間、神社に足しげく通い、死んでからはお寺さんの世話になる。自分自身が宗教的だと感じないほどあたりまえの生活になっているのだ。宗教儀礼が骨の髄まで身体化されていると言ってもいいだろう。お墓に関して言えば、もともとの仏教には祖霊崇拝の考え方はなかったのだ。儒教の影響を受けながら日本的家制度のなかで祖霊信仰が根付いて行った。その結果がお墓や仏壇や位牌になったのだ。祈りや供養やそれを司る制度と場所はこの先もずっと日本人にとって必要なはずだ。「死」というものを軽んじるということはそのまま「生」を軽んじることになるのであろうから。
さて自分自身のことを考えるなら、祖父母や父や母がこの松岡家のお墓に先に入っているとしても自分がこの墓に入るのは正直なところ想像しがたいのだ。なぜなら私が入ったあと、お墓のお守りをする人のことを考えてしまう。いま年老いた母がお墓の世話をしているようには私自身も私の子供もとうていできないだろうから。おそらく私と同じように考える人は少なくないだろう。とすれば、私たちは新しいお墓のカタチを考えていかなければならない。
私が夢想しているのは自然豊かな広大な公園の中にただひとつ巨大な墓石が屹立している風景だ。スタンリー・キューブリックが監督した2001年宇宙の旅に登場するモノリスのイメージだ。想像してみてほしい。素材は硬質で滑らか。光をほとんど反射しない真黒。表面には文字もなければ模様もない。遠くからもそれとわかるくらい十分に背が高い。高さは50Mくらいあろうか。でも塔ではない。モノリスは各辺が1:4:9の比率を持つ立体だ。最初の三つの自然数の二乗であることで人工物であることを意識させる。
モノリスのなかには故人の遺灰が入ったカプセルが無数に収容されている。またカプセルの中には故人が生前に残したテキスト情報をはじめとする画像や映像の電子データがすべて記憶されている。そしてアクセスを許可された親族はそれをいつでも閲覧できる。もしかしたら遺言も入っているかもしれない。墓石自体が巨大なサーバになっていて、インターネットを介してどこからでもアクセス=お参りができる。
そしてどのような宗教も受け入れる。もちろん無縁者も受け入れる。墓石のまわりではさまざまな宗教儀礼が執り行われるだろう。いつもどこかで読経や祈りの声が聞こえる。そしてそれは世界が終わる日までつづく正真正銘の永代供養だ。運営は故人の寄付でまかなおう。お布施も受け付けよう。一年を通してお参りの人たちが絶えないだろう。遠方からも人が来るだろう。地元の人たちが集い、語り合い、憩う場所にもなるであろう。お盆には墓石を囲んで壮大な盆踊りが行われることだろう・・・
そんなモノリシックなお墓があったら私も入ってみたいと思う。