2011年3月の東北地方の大地震から5年、ふたたび日本は大きな災害に見舞われた。
しかも今度は私たちが住む九州だ。
私自身も小中学校の4年間を熊本市内で過ごし、いまでも熊本には友人が多い。その家族がいまも避難生活を余儀なくされている。私が住む国東半島はさいわい直接の被害を免れたが、それでも市内のレストランや宿泊施設では地震の余波でゴールデンウィークの予約がキャンセルされたりと、災害の影響は決して小さくない。被災した地域の一日もはやい復旧と、そしてすべての人々に穏やかな日常が戻ってくることを祈るばかりである。
5年前の東北大地震と原発事故は私自身にとって大きな転換点になった。あたりまえの日常が一瞬にして崩壊する様子を目の当たりにして、それまでの自分の仕事と生活を根本的に考えなおさざるを得なくなった。国東時間については、コラム第二回「借りものの時間」のなかでも触れた。メディアでは週休三日ということばかりが注目されているが、3.11の震災後の日本において、自分たちにとっての豊かさとは何か?を問い直す試みからはじまったものである。本稿では再びこの「国東時間」について書いてみたいと思う。
この制度が始まったのは約三年前、2013年の6月から。1998年の創業以来、微増ながら右肩上がりで売上げを伸ばしてきた当社だが、2012年度決算においてはじめて売上げが前年比を下回った。売上げ減の要因はさまざまあるのだが、とにかく一度下がった売り上げをもう一度回復するために何をすればいいか。通常であれば、たくさんモノをつくって、たくさん売るということを考えるのだが、たくさんモノをつくるということは労働時間が増えるということだ。労働時間が増えれば従業者のモチベーションは下がるし、ミスも出やすくなる。クリエイティブの精度も下がるだろう。経営者として会社全体を見渡したときに、この方法は決してプラスになるイメージが浮かんでこなかった。
ならば逆に張ったらどうだ。すべての行程で無駄を省きながら労働時間を短縮し、効率を高め、休日を一日増やす。なんだか逆張りというと博打みたいで恐縮するのだが、実際のところ経営者としてはギャンブルだったのだ。しかも後戻りができない賭けである。
私たちの会社、アキ工作社ではd-torsoという段ボールを主材にしたクラフト製品を造っている。これはレーザー切断機でひとつひとつ製品を切り抜いていくため、大量生産品とは言えない。たくさん造ればコストが下がる、というものでは無いということだ。むしろ手仕事の比重のほうが大きいので大量生産を前提とした製造業とは条件が異なり、お金と時間は必ずしも直結していなかった。このことも国東時間導入の一因ではあったろう。
さて日本でも最近は「働き方」が注目されてきて、週休三日制の「国東時間」については導入直後からさまざまなメディアに取材を受けた。導入初年度の売上げが前年比で27%の増加実績をあげたこともあって政府からも注目され、一昨年の11月には安倍晋三内閣が主催する「第三回政労使会議」に呼ばれ閣僚の面々、財界・有識者のまえでプレゼンテーションを行った。安倍首相をはじめ出席者の多くから賛同を得たけれども、ほんとうに真意が伝わったどうか、プレゼンを行った当の本人としてはかえって不安のほうが大きい。マスメディアの論調も政府の受けとり方も総じて週休三日という事実だけに終始してしまうのだ。
社内では最初から労働日と非労働日の関係がオンオフの関係ではない、ということを強調している。つまり三日間は休みではないということだ。月曜日から木曜日までの四日間は生活の糧を稼ぐための仕事、その週にやらなければならないことを正確に丁寧に、かつスピーディーに処理していくルーティンワークだ。非労働日は地域の仕事をしたり、自分の勉強をしたり、あるいは将来に繋がるアイデアを考えたりと、クリエイティブの重点はむしろ非労働日のほうにある。
年代によっても時間の使い方は違ってくる。私の年代(50代)では自分が生活する地域共同体(ムラ)の仕事の比重がとても大きくなってくる。祝祭儀礼や年中行事、それにともなうさまざまな寄り合いが一年を通して頻繁に行われる。ここ数年、私自身はかなりの時間をこのムラの行事で過ごしているのだが、経験を積むほどに地域共同体の重要性を感じている。私たちは先の震災を経験して明らかなように、災害や有事の際に真っ先に動き出し、お互いに助け合うことができるのは、こういった昔から続く地域共同体に他ならない。だが近年は田舎でもこういった地域共同体は崩壊過程にある。若い人に繋げられないのが大きな原因だ。なぜなら彼らの時間の大半は、生活の糧を購う会社のために使わなければならないから。
いっぽう若い人にとっての三日間はどうかというと、こちらはもっと難しい。もともと週休三日制は若い人材が成長できるしくみを作ろうと始めたことでもある。お金のための仕事だけに縛られていては新しいものは生まれてこないし、消耗するばかりだ。自分の与えられた環境を活かして自分の将来に繋がるような時間を過ごして欲しいというのが私の、経営者としての希望なのだが、残念ながらこれはことごとく失敗している。
例えばクリエイティブ職の人材であれば、会社の仕事に関係なく自分の作品をつくったり、デザインコンペに参加したりする場合は給料とは別に手当を支給する制度をインセンティブとして設定した。三年経った今でもこれは事例がない。また地域ボランティア活動に対しても同様のインセンティブがあるが現在利用者はいない。自分が若かったらこういう会社で仕事をしたい、と思えるような会社の設計を心掛けてきたのだが、むしろ国東時間を導入してから若い人材の退職者は増えている。私にとっては大きな挫折である。
人間は放っておくと低きに流れるものだ。現状に慣れていってしまうのだ。これは自分にとっての戒めでもある。週休三日制が新鮮だった頃と三年経った今とでは、やはりどこかが違うのだ。固定化されたものをもう一度動かすために、国東時間は次の段階に入る時期なのだろうと思っている。
いつの頃からか私自身は会社というものが地域共同体のひとつのかたちだと考えるようになった。約7年前から廃校になった小学校跡地を仕事場として使っていることの影響も大きい。自らが意識するしないにかかわらず、会社そのものに公共性が浸透してきたということだ。不思議に聞こえるかも知れないけれど、人は建物から影響を受けるということもありえるのだ。
モノをつくって売るということの繰り返し、つまり世界のマーケットと接続した貨幣経済のなかで過ごすのが四日間で、地元においてお互いの贈与を中心に時間が交換されるのが三日間。このコンセプトを中心にもう一度会社の制度設計を進めてみようと思っている。地域共同体として継続する会社のかたちをつくろうということだ。
一番大きい問題はお金と時間と労働の関係性である。三年前の導入時は一日8時間×5日 = 週40時間労働だったところを、総労働時間は変えずに、一日10時間× 4日 = 週40時間労働とした。給料は以前のままだ。次のステップとしては、週の労働時間を現在の40時間から32時間にするというのが一つの案である。ただし仕事の総量は変わらない。個々の裁量によって時間を使えばよい。見方によってはコアタイムフレックスに近いかも知れない。そして給与制度も変えていく。一律の最低補償額(ベーシックインカム)に出来高によるインセンティブを加算したものが給与となる。
現在のアキ工作社には正社員と特別社員とアルバイトという三つの働き方がある。それぞれ契約の仕方も労働時間も責任の度合いも違うのだが、会社の成員としては皆同じ価値があると私は考えている。私たちのように構成員が少ない会社は全体のモチベーションを高めるために、できるだけフラットな人間関係をつくることが望ましい。実はこれが一番難しいことなのかもしれないが、お金と時間と労働の問題はここでも中心的な課題となるだろう。いまはまだ素案の状態なので、実施案ができたらまた別の稿で報告したい。
そしてもう一つ、これからとりかかろうと思っているのは会社の資本を地元国東から集めること。現在は100%の株を経営者である私が所有しているのだが、これを徐々に地元の資金に転換していきたい。つまりアキ工作社とd-torso製品のファンである一般の国東半島市民の方々からの投資を広く募集し、名実共に国東半島の地域共同体として変容するということだ。これは楽しみである。
おおよそ以上が国東時間の第二ラウンドの構想である。まわりの人たちからは、「国東時間すばらしいね」「三日も休みがあって羨ましい」とよく言われるが、なんのなんの、私自身は挫折につぐ挫折で凹むことも度々なのだけど、国東時間は自分自身の希望でもある。
地方で、とくに国東半島のような中山間地域で生き続けていくためには都市部と同じ尺度で経済を考えてはダメだ。むしろ都市のカウンターとしての機能を装備していかなければ、大きな自然災害や経済変動が起こったときに、日本は都市も田舎もそろって全滅してしまう可能性がある。いまならまだ間に合うと私は楽観しているのですが。
最後までがんばります。応援してくださいね。