タマは15歳になる白い雑種の雌犬。私が国東に帰ってきた年の春に生まれた。
その年生まれた兄妹のなかで雌は彼女だけ。その他の兄弟はみな黒毛だったがタマだけが白毛で、初対面は弱々しい印象だった。とっても臆病だったし、なんだか最初から犬らしくなかった。だから犬だけど猫みたいな名前がついた。私が命名したのだった。
そのタマが先日亡くなった。夏を過ぎた頃から急に弱ってきて、皮膚に炎症をおこし体毛が徐々に抜けてきていた。癌だったようだ。ここ数年、白内障であまり目も見えなかったようだし、腰も痛そうにしていた。中型犬の平均寿命はなんとなく知っていたので、だんだん老いていくタマを見ながら、一緒に居られる時間はもうあまり長くないと、わかってはいたのだ。
昨年末の時点で医者からは余命2か月と言われていたから、できるだけ苦しい思いをさせずに見送ってやろうと、ここ数ヶ月はタマを中心に日常が過ぎていった。昨年から私は家族と別居生活をしている。だから平日は家の中にタマと私だけ。ドッグフードを食べなくなったタマのために朝晩のご飯を作るのが日課となった。出張も宿泊なしでスケジュールを組んで、夜はなるべく家に居るようにした
考えてみたら自分自身が近しい他者の死に立ち会うのは初めてだった。もちろん「死」そのものは悪いことではないし、理不尽なものでもない、それはわかっている。ただ覚悟ができないだけだ、生まれてからずっと一緒に過ごした最も身近な他者に対しては。
最後の一週間、タマは食べ物を受け付けなくなったので、自分のベッドをタマがいるリビングルームに運び込んでワンルーム生活が始まった。ときどき夜中に水を飲むために起き上がろうとするのだが、もう足腰が弱っていて途中で転んでしまうのだ。体毛がほとんど無いから真冬の夜中に倒れると家の中といえども凍えてしまう。夜はほとんど付きっきりの一週間だった。
最後の日、いつものように会社を出たついでにタマの様子を見に家に立ち寄ってみると、玄関を開けたら「ワン……ワン」と鳴き声が聞こえる。もう何ヶ月もタマの鳴き声など聞いたことがなかったので驚いてリビングに入ってみると、タマが窓際に倒れていた。たぶん一度立ち上がったのだろうが、転んでしまってその場で起き上がれなくなったのだ。もがいた形跡がある。すでに体温もだいぶ失われていた。どれくらいの時間そうしていたのか。最後の力を振り絞って私に助けを求めて吠え続けていたに違いない。
不思議だったのは、寝床に連れ戻したタマの顔がとってもスッキリ見えたことだ。それまでだんだんと弱っていくにつれて表情も消え、ボンヤリした顔つきだったのが、最後の数時間だけは憑きものが落ちたかのように昔の顔に戻っていた。
寝床に戻してもしきりと起き上がろうとするので、介添えして立たせると痩せ細った肢を踏ん張ってブルブル震えながら「グフーッ」と唸る。生きることへの執念だ。自分を奮い立たせているようにも見えた。涙が出た。可哀想とか、そういった類の感情ではない。目前の小さなそして圧倒的な野生に対する畏怖の感情だ。そしてその時は私にもわかっていた、今夜タマが死ぬだろうと。
最後の夜、遠く離れた家族とタマがカメラ越しにお別れをした。モニターの向こう側から家族がタマの名前を呼び続ける。微かに反応しているようにも見えた。そして回線を切ってから間もなく痙攣が起こり吐血した。苦しんだのは少しの間だけだった。身を捩りながら「キャン」と鳴いてから、息がだんだんと遠くなり消えていった。とても静かな顔をしていた。本当に眠っているようだった。
この間のことは今思い出してもこみ上げてくるものがあるから、うまく書けないのだけれど、ひとつわかったことがある。それは生きている状態と死んでいる状態は切れ目なく連続しているということだ。生と死はそれを分かつ境界線のようなものがあるわけではなく、それらはそのままひと続きだ。目の前のタマはもう息はしていないけれど、間違いなくタマはまだそこに居る。死を境にして劇的に何かが変わるわけではなく、あるいはそこで何かが終わるのでもなく、その先もグラデーションのように変化しながらずっと続いていくんだ、ということがそのとき感じられた。
その夜はロウソクを灯してタマの寝顔を見ながら一晩中酒を飲んだ。涙が止まらなかった。この感情はなんなのだろう。なぜ他者が死ぬと悲しいんだろう。私自身は普段の生活で悲しいとか寂しいという感情をほとんど持たない人間だ。自分の感情についてはその大部分を自分自身で説明をつけてしまう人間でもある。私たちが悲しみと呼んでいるものがいったい何もので、どこから来るのか、自分には知りえないことなのだが、親しい他者が死ぬと悲しくなるということは私ども人間にとって少なからぬ意味があるのかもしれない。