「自力本願」で切り拓いてきたクリエイティブな突破力 
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昭和の町・豊後高田で看板設計施工業を営む有限会社小畑看板店。同社工場へ足を運ぶと目に飛び込んできたのが大手住宅メーカーの大きな看板です。
「もともと西日本全般を担当する広島の元請業者から、九州管内の看板メンテナンス工事を請け負っていました。ところがその会社の代表者が亡くなり、後継者不在で事業継続が困難になったため、私に引き受けてくれないかと相談があったのです。この看板を製作するためにクレーン設備を導入するなど、思いきった設備投資も行いました」(小畑桂治代表取締役)
同社は1960年に当地で創業。二代目にあたる小畑代表は、デザイン専門学校を卒業後、大手広告代理店へ就職。5年勤務の後に帰郷して家業を引き継ぐも、その力量を買われて合成樹脂メーカーから看板製作事業を請け負い、約1年間を大阪の現場で過ごしました。
「ガソリンスタンド、外食チェーン、コンビニチェーン等の看板を担当しました。特殊なアクリル接着技術を要するため、大分市の水族館『うみたまご』の水槽なども手がけました」
大阪では多くの技術と知識を会得し、住んでいた6畳の部屋はデザイン等の専門書だけでなく、哲学など多彩な分野の本で溢れていたそうです。
「当時の業界はアナログからデジタルへ移行する過渡期。この時期に実力をつけておかなければ、取り残されると直感しました。裏を返せば、自分たちはアナログとデジタルの両方の良さを習得している世代。これは強みになると思っていました」
大阪での仕事を終え、豊後高田で現場復帰した小畑代表は、自宅と兼用だった工場を現在地へ移転。心機一転、仕事に集中できる体制を整え、事業に専念しました。
その一方で小畑代表は、地域との関わりも深めていきます。豊後高田市の商工会議所青年部や宇佐青年会議所ではリーダー的役割を担い、八面六臂の活躍ぶり。昭和の町づくりを進めるプロジェクトの中心メンバーでもあり、すっかりおなじみとなった昭和の町商店街の看板アーチも小畑代表のアイデアです。
「2003年に大阪のダイハツ工業本社から豊後高田までダイハツミゼットなどを走らせるPR企画では、自ら運転手を引き受けました(笑)」
バイタリティあふれる行動力で、あらゆるチャレンジを厭わぬ姿勢は、頼りになる兄貴分として存在感を発揮しているようです。
「看板業界の地位向上も、後任のためにしなければならない私たち世代の役割。コロナ禍で厳しい状況であり、どこもV字回復は難しいでしょうが、何事も真面目に取り組んでいくしかありませんね」
好きな言葉は「自力本願」。地域のリーダーとして、数ある難局を乗りきってきた小畑代表の突破力に期待が寄せられます。

profile

有限会社 小畑看板店 (高田支部会員)
代表取締役  小畑 桂治 氏
大分県豊後高田市新地1168-3
※地図
tel.0978-22-2593