ここ約20年間、インターネットが登場し、いままでなかったいろいろなビジネスが生まれている。

そういったなか、現在物議を醸しているサービスがある。Uber(ウーバー)とAirbnb(エアビーアンドビー)である。

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Uberは、クルマの相乗り者紹介サービスだ。自家用車を持っている人が友人をどこかに送っていくように、アカの他人を乗せて目的地まで送っていく。この「自家用車を持っている人」と「アカの他人」を結び付けるのがインターネットというわけである。

■Uber
https://www.uber.com/ja/

Airbnbは、部屋を借りたい人に貸す人を紹介するサービス。「アカの他人」に自分の部屋を貸したい人と「アカの他人」とをネットを利用して紹介する。

私たちは友人など親しい人が自宅の近くに来たときに自分の家に泊めてあげることがある。いつもというわけではないが、親しければ「泊まっていけば?」とか「ちょうどそのとき実家に帰っていていないけど、鍵の置き場所教えるから勝手に泊まっていっていいよ」なんて感じで部屋を貸すこともあるだろう。この感覚だ。

■Airbnb
https://www.airbnb.jp/

いまこの2つのサービスが世界中で問題になっている。というのもそれぞれ既存のサービスに置き換わるものだからである。Uberはタクシーと。Airbnbはホテルと。だからそれぞれの業界は、既存の法律を盾にこれら新規のサービスを攻撃している。

 

こういうときベンチャー擁護派は、古い法律を盾にする既存のサービスを攻撃する。おじさんたちが既得権益を守りたいだけじゃないかと。そして、それによって新しいビジネスの芽を摘んでいると主張するわけだ。

しかし、問題はそういうことではない。法律云々でもない。もちろん法律で線を引くことは重要だが、杓子定規に線を引けば、ベンチャー擁護派の言うとおり、新ビジネスの芽を摘むことになろう。ではなにを基準にすればよいのか?COLUMN_1507_03

民主主義の根幹は、市民・国民が健康的で平和な生活を送ることにある。であれば、新しいサービスが出てきたとき、考えることは、ひとえに人命ではなかろうか。人命を脅かすかどうかを基準に判断する。

先のUberであれば、乱暴な運転をするドライバーが「アカの他人」に恐怖を味わわせるような運転をし、あげくの果ては死亡事故を起こす可能性だってある。もちろん、既存のタクシーにそういうことがまったくないとは言えないが、まったく素性のわからない人ではなく、すくなくとも訓練を受けたタクシー会社の社員であったり、厳しい試験を通過した個人タクシーであれば、可能性は著しく小さいと考えられる。

現在、日本でのUberは、一部の都市ではタクシー会社しかドライバーとして登録できない。これがすべてならいいのだが、一般人がドライバーとして登録できる日本の都市もある。

Airbnbであってもそうだ。万一、火災が起こったとき、だれが避難路に誘導するのであろうか。そこの住人であれば、避難路も含め、自宅周りの危険な箇所はだいたいわかっている。マンションの10階であれば、小さい子がベランダは出ると危ないことは当然わかる。

しかし、まったくその土地を知らず、その家やマンションのことも知らない外国人などを含む「アカの他人」が、鍵だけを渡されて泊まることは相応の覚悟が必要だ。ホテルであれば、避難路の表示はされているし、説明されることも多い。基本的に故意に危険なことをしないかぎり、うっかりミスでは危険な目にあわないような設計もされている。しかし、日常的に居住する家はそのかぎりではない。Fire exit ,green emergency exit sign.

人命を第一に考える。得てして新しいサービスは脱法的なものでもある。しかし人命にかかわることであれば、即座に営業を停止できるような強権も行政には必要だ。人命を守るために既存の法律でカバーできるのであれば、その法律を援用して、新しいサービスの不備を突き、そこがカバーされなければ営業できないように迅速に行政が対応すればいい。

行政の対応スピードの遅さを指摘されることもあるが、その部分は改善し、新しいサービス、ビジネスの芽を摘まないようにして、しかし人命は守る。そういう姿勢が大切だ。

ベンチャー企業も、新しいサービスには最初は不備が付きものだが、どんなに不備があっても人命だけは守るという姿勢でサービスを開発し、リリースしてほしい。

そのスタンスを忘れることなく新しいサービスが生まれ、私たちがより健康的で平和な生活を送れるような世の中になってほしいものである。

profile

田代 真人 
(たしろ・まさと)

編集者・ジャーナリスト。(株)メディア・ナレッジ代表。駒沢女子大学、桜美林大学非常勤講師。1986年九州大学卒業後、朝日新聞社、学習研究社、ダイヤモンド社と活躍の場を変え、女性誌からビジネス誌まで幅広く取材・編集。著書に『電子書籍元年』(インプレスジャパン)、構成作に『もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら』(日経BP社)がある。