個人的な話で恐縮ですが、つい最近、祖父(明治生まれ)が書いた備忘録が見つかり、ちょっと衝撃を受けています。私が生まれた昭和28年(1953)前後の内容です。
たとえば、昭和32年に今の野口原総合運動場(当時は競馬場あと)で開催された、「別府博」と呼ばれた博覧会。私は行ったことないはずなのに、満3歳ながら連れて行ってもらっているのです。「知らなかった!」とショックです。
その備忘録も手がかりに、今回はラクテンチ下にあった「市営温泉プール」の話をしたいと思います。
掲載した絵葉書のように、独特なスタイルのかっこよい建物です。上屋は、元大分航空隊の飛行機格納庫2つ分を払い下げてもらい、組み立てたそうです。
昭和31年(1956)に完成し、8月27日には高松宮殿下ご夫妻ご臨席のもと、完工式が行われています。
しかし、のちには、温泉が出なくなったりしたため、プールとして使われなくなりました。活用方法も模索されましたが、ついには解体され、その後ずっと空き地でした。
名前の通り、温泉を活用して水温を25度〜30度に保ち、四季を通じて泳げるのが特長でした。50メートルの9コースで、公認施設だったため、オリンピック出場候補選手らの合宿も行われました。
夏休みの子供たちにとっては楽しいプール遊びの場でもありました。小学生の頃、私も近所だったので、毎日のように出かけました。体が冷えるとプール脇の浴室に飛び込んだものです。
意外ですが、この温泉プールでは、歌謡ショーや大相撲巡業、プロレスなど、いろいろな催しが行われました。プールに床を張ると、スタンドと合わせて7000人分。別府で最大の収容能力をもつ施設(昭和48年『別府市誌』)だったからです。
私は新聞記者時代、かつて楠銀天街にあった商店スガコクの歴史を書いたことがあります。昭和37年(1962)7月22日、創業70周年記念で「橋幸夫ショー」を昼夜2回、この温泉プールで開催しています。舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と呼ばれた人気スターです。会場の写真を見ると、スタンドのほか、プール部分にもぎっしりとお客さんがあふれていて、熱気が伝わってくるほどです。大赤字だったそうですが、1つのお店が歌謡ショーを開くなんて、すごい話です。
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行したほど大人気だった、横綱の大鵬も来ました。日付は分かりませんが、私の手元には土俵入りの写真があります。プールの真ん中に土俵が設けられたのです。
さて、祖父の備忘録では、昭和32年(1957)6月27日に、島倉千代子の歌謡ショーが昼夜2回開かれ、家族全員が出かけ、盛況だったと書いています。調べて見ると、島倉千代子さんはまだ19歳だったのですね。
年末には、曽根志朗と野村雪子の歌謡ショー(12月17日)にも。翌年3月9日の藤島桓夫(ふじしま・たけお)ほかの歌謡ショーは、市内の有名商店で500円以上買い物をすると招待券がもらえたと記しています。
なんと「農業祭」という言葉も出て来ます。昭和33年11月28日から3日間、温泉プール内外で、相撲大会、農産物・植木の品評会、さらに「農女子二十名服装コンクール」などと記されています。
実はこの催しは、「別府まつり」というイベントの一環だったようです。市報のバックナンバーが最近、ネットで見られるようになりました。調べてみると、たしかに、温泉プールでは農業関係の催しが集中して行われています。
それによると、別の会場では、扇山の火祭り、中央公民館で「NHKのど自慢コンクール」、松原公園では「甘党辛党の王様決定大会」(どんな内容だったのでしょう?)、別会場でタバコの銘柄を当てるコンテストまで開かれていたこともわかりました。
ところで、昨年夏にりっぱな別府市学校給食センターが完成し、温泉プールの名残はなくなりました。でも、この場所にさまざまな歴史、たくさんの物語があったことは、記憶にとどめておきたいものです。
※メイン画像説明
昭和31年(1956)に完成した頃の市営温泉プール。画面左上にはラクテンチの山が見える。