「次を頼む人」とは、次のリーダーになってもらう人という意味です。
企業にとって世代交代、事業承継は大きなテーマです。大分みらい信用金庫もサポートしています。私はNPO法人を経営しており、年齢も70歳なのでこのテーマはいつも気になっています。

みなさんは「事業承継に正解はないだろう」とお考えのことでしょう。
はい、私もそう思います。ですので、ここでは過去の例を和歌で味わうことにしましょう。
取り上げたのは「吉野の誓い(吉野の盟約)」です。
ちなみに、この吉野は大分ではなくて奈良のほうです(笑)。

「吉野の誓い」とは、天武天皇と妻の持統天皇が子どもたちを吉野宮に集め、「後継者争いが起きないようにします」「皆で仲良く助け合います」と誓わせた会合です。
集まった子どもたちは、草壁皇子を筆頭に、大津皇子高市皇子忍壁皇子川島皇子志貴皇子の6名。
この時は、みんなの気持ちが一つになったことでしょう。

【和歌のスタイルで表現してみた】

Usage #27
事業承継に正解はなかろうよ、の心として。

事業承継という未来の流れ 今日描いても明日には移ろふ

[解説]
時間が経つと事情が変わります。「吉野の誓い」の後の変化を見て行きましょう。

体調不良を自覚した天武天皇は草壁皇子を皇太子に指名し、「天下の事は大小を問わずことごとく皇后及び皇太子に報告せよ」と勅します。
そして天武天皇が亡くなります(享年不詳)。
政治の実務は勅命に従って45歳の持統天皇と、24歳の草壁皇子が担っていましたので、特に問題が起きることなく、次の天皇には経験豊かな持統天皇が即位します。
ところが期待していた草壁皇子が27歳で逝去します。
そこで持統天皇は草壁皇子の15歳の息子を天皇に就けて文武天皇とし、自らは52歳で太上天皇になります。そこから6年後、58歳で逝去します。
これで「吉野の誓い」の中心人物は3人ともこの世からいなくなりました。
#27の元歌は、吉野の誓いに参加した方々の次の歌です。

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[元歌 01]
淑き人のよしとよく見てよしと言ひし 吉野よく見よ良き人よく見 (万27)
意味:昔の立派な人たちがよくよく見て良しと言った吉野をよく見なさい、ここに集う良い人たちも吉野を良くみなさい。

[解説]
吉野の誓いのとき、 天武天皇(てんむてんのう/? – 686/第40代天皇)が集った面々に、噛んで含むように言い聞かせたメッセージの歌。

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[元歌 02]
北山にたなびく雲の青雲の 星離れ行き月を離れて (万160)
意味:北山にたなびく雲=天武天皇のお姿=が、ああ、星から離れてゆく、月からも離れてゆく。

[解説]
天武天皇が亡くなった後、心情を吐露した持統天皇(じとうてんのう/645 – 703/第41代天皇)の歌。

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[元歌 03]
あかねさす日は照らせれどぬばたまの 夜渡る月の隠らく惜しも (万169)
意味:昼の間は太陽が照っています。けれども、夜になると惜しいことに雲が月を隠してしまいます。

[解説]
これは柿本人麻呂が亡き草壁皇子(くさかべのみこ/662 – 689)を偲んで作った歌。6名のなかで天武天皇と持統天皇を両親に持つただ一人の皇子。

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[元歌 04]
春過ぎて夏来るらし白たへの 衣干したり天の香具山 (万28)
意味:春が過ぎて夏が来たようです。天の香具山に白栲の衣が干してあります。

[解説]
文武天皇に譲位し自らは太上天皇になって肩の荷を下ろした感のある持統天皇の歌。

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[元歌 05]
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ (万416)
意味:磐余(いわれ)の池で鳴いている鴨を眺めるのも今日限りだ。私はこれからこの世から隠れるのだから。

[解説]
素晴らしい人柄、多くの人々の信望を集めた 大津皇子(おおつのみこ/663 – 686)が人生を閉じるときの歌。謀反の疑いをかけられて自害。享年23歳。天武天皇の皇子。異母兄が草壁皇子。

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[元歌 06]
三輪山の山辺(やまへ)真麻木綿(まそゆふ)短木綿 かくのみゆゑに長くと思ひき (万157)
意味:三輪山の麓で祭る麻木綿の何と短く終わることか。長く長く続くものだとばかり思っていたのに。

[解説]
父の天武天皇がピンチのときに大活躍して切り抜け、太政大臣まで務めた高市皇子(たけちのみこ/654 – 696)の歌。これは短命だった姉を悲しむ歌。草壁皇子の異母兄。
忍壁皇子(おさかべ の みこ ? – 705)天武天皇の皇子。大宝律令の筆頭の編纂者。万葉集に歌が載っていません。

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[元歌07]

白波の浜松が枝の手向けくさ 幾代までにか年の経ぬらむ (万34)
意味:白波が寄せる浜に生えた松。その小枝を結んだお供えがある。どれくらいの年を経たものだろう。

[解説]
温厚、ゆったりした人柄、広い度量の持ち主の川島皇子(かわしまのみこ/657 – 691)の歌。先人が松の枝を結んだ再会のおまじないを見て、先人に思いをはせた歌。草壁皇子→大津皇子→高市皇子に次ぐ序列。国史編纂事業を主宰。

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[元歌08]
むささびは木末求むとあしひきの 山さつ男にあひにけるかも (万267)
意味:ムササビが梢に行こうとしたら、運の悪いことに猟師と出くわしてしまったよ。

[解説]
皇位と無縁の文化人、志貴皇子(しきのみこ/668 – 716)の歌。皇族の教育用教材を制作するため、良い説話を集める編集役を担いました。

profile

安部 博文
あべ・ひろふみ:1953年、大分市生まれ。大分大学教育学部物理学科卒業、師匠は田村洋彦先生(作曲家)。由布院温泉亀の井別荘天井桟敷レジデント弾き語リスト(自称)。大分大学で第1号の経済学博士、指導教員は薄上二郎先生(現青山学院大学経営学部教授)。国立大学法人電気通信大学客員教授。電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート理事長。
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