いやいや久々に飲み過ぎてしまいました。でろんでろんになって家に帰り着いて床でうごめく様子を家人がスマホで撮って、「こんなだったよ」と見せられました。
誠に遺憾。酒を飲み過ぎると良いことはないっす。
だからといって一切断つこともできません。弱し。で、これを機に今後の飲み方を考え直しました。
今までは飲む・呑むの「のむ」。これからは、利く・聞くの「きく」。
これで参ります。そこで、今回は(前にもちょっとやったことがある)大伴旅人の酒を讃める歌4首を「きく」姿勢で見直します。実は、旅人先生、酒を礼賛するふうに見せつつ、今の我々の暮らしに役立つ知恵を授けてくださっていました。なので酒をのまない人にもいけるはず、と思います。元歌はいずれも
大伴旅人(665 – 731/66歳)
■Usage #33
無駄な考えはさっさと止めて、目の前のことに集中だ、の心として。
験(しるし)なきものは思はずは 一坏の濁れる酒をきくべくあるらし
[元歌]
験なきものを思はずは 一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし(万338)
意味:どうにもならないようなことは考えるだけムダ。一杯やるのがヨシ。
[解説]
旅人先生は、考えても答えが出ないことにアタマを使うのは止めて、一杯の酒もしくは一杯のお茶を飲んだ方がマシと仰る。いやあそれは難しいとか言わず、素直に従いましょう。ゆったり構えて香りを楽しんでみようではありませぬか。
■Usage #34
酒の別名を聖(ひじり)という、聖には素直になろう、の心として
清酒は聖人、濁酒は賢人 洋酒は外人、焼酎は友人
[元歌]
酒の名を聖と負(おほ)せしいにしへの 大き聖の言の宜しさ(万339)
意味:酒を聖と名付けた昔の聖人の言葉のセンスの、なんと素晴らしいことよ。
[解説]
元歌とかけ離れてしまったけれど(笑)、元歌にインスパイアされたらこうなりました。昔、醸造の専門家から、稲作と酒造りはセットで日本に入って来たのだよ、と教えてもらったことがあります。とにかく長い歴史があるものは洋の東西を問わず尊いです。■Usage #35
古の賢人も酒を望んだ、今の我われをや、の心として
いにしへの七の賢しき人たちの時代から 欲りせしものは酒にしあるべし
[元歌]
いにしへの七の賢しき人たちも 欲りせしものは酒にしあるらし(万340)
意味:竹林の七賢人だって欲しがったのは酒だったとさ。
[解説]
日本人は昔から酒を友にしてきました。古代中国の七賢人も酒が潤滑油で話が弾みました。酒の良き作用を引き出せる人が本当の酒の味わい人(びと)。こうしてみると、必要な時に酒が手に入る普段の暮らしの何とありがたいことでしょう。
■Usage #36
理路整然と話すより、下手でも言いたいことを一所懸命に話すほうが良き、の心として
賢げに物言ふよりも 賢げに物言えずとも分かる人には伝わるらし
[元歌]
賢しみと物言ふよりは酒のみて 酔ひ泣きするしまさりたるらし(万341)
意味:賢げに計算ずくで物を言うよりも、酔い泣きして弱点を見せてしまう人のほうが好ましい。
[解説]
旅人は、スマートに発言するより酒を飲んで酔い泣きするほうが良い、と言います。これは、旅人が同じ人物を観察した結果、賢げモードの時より、酔い泣きモードのほうがざっくばらんに話ができると言っているのか、はたまたスマート系と酔い泣き系の異なる人を比べて言っているのか定かではありません。どちらにしても、旅人は大宰府で長官職を務める役人だったから、人をよく見ていたに違いありません。
■付録
[大伴旅人の同時代人]
旅人と政治的立場が微妙に違う権力者の藤原四兄弟。父親は藤原不比等。逝去した年が全員同じなのは、天然痘の流行が原因。
・藤原武智麻呂(ふじわら の むちまろ/680 – 737/57歳)長男。藤原南家の祖。
・ 藤原房前(ふじわら の ふささき/681 – 737/56歳)次男。藤原北家の祖。
・ 藤原宇合(ふじわら の うまかい/694 – 737/43歳)三男。藤原式家の祖。
・ 藤原麻呂(ふじわら の まろ/695 – 737/42歳)四男。藤原京家の祖。
[九州・大宰府での歌仲間]
・ 満誓(まんぜい/? – ?)
旅人が都から来た客人と歌をやり取りする接待の場で、妙な緊張感が漂い始めた場面で「しらぬひ筑紫の錦は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ」と詠って場の緊張感をほぐした。大した人物。
・ 山上憶良(やまのうえの おくら/660 – 733/73歳)
旅人が神経を使う接待を終わらせるのに「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ」で場を和ませてお開きにする。旅人にとって満誓と憶良の存在は大きかったと思ふ。