身近なライヴエンタテインメントが
「under the sun」から「under the moon」へ
50代以上の音楽、特にJAZZ愛好家の方にとって「LIVE UNDER THE SKY」という響きは特別かもしれません。
1977年から1981年まで短期間ながら、東京・田園コロシアム(1989年閉場)で開催された歴史的ジャズイベントには国内外のジャズミュージシャンが大挙出演。特にハービー・ハンコックを中心としたスーパーグループ・V.S.O.Pの名演は今でも伝説として語り継がれています。
もともとは全日本テニス選手権「フェドカップ」(懐かしい!!)が開催されるテニスの聖地でしたが、古くはザ・タイガースからピンク・レディー、オフコース、チューリップ、サザンオールスターズ等、日本の大人気アイドルからポップ・ロックグループもライヴを開催した、まさに「空の下(屋外)ライヴ」の聖地でもありました。
しかし田園調布という高級住宅街の住民からの騒音苦情により、1982年より「よみうりランド」に会場を移して再開にこぎつけました(1992年終了)。
時は経って、1997年。あの「フジロックフェスティバル」がスタート。ライヴエンタテインメントのステージが「under the sun(野外フェス)」へ移行し、規模は巨大化(産業化)し、グルメやアウトドアブームと繋がってレジャー化していきます。
そんな音楽による経済活性シーンを急襲したのがコロナです。
その後はご存知の通り、音楽フェスビジネス関係者を地獄に落としたわけですが( 暗黒の3年間は中略)、ついに完全復活の狼煙の手前まで回復したようです(2023年3月時点)。
Jリーグやプロ野球等のスポーツ観戦も同様で、密着&声出しもほぼ自由。
そんな中で、まだまだ光が見えなかったのが、都内に約330店あると想定される小規模ライヴハウス(収容人数100人前後)。いわゆる「3密」が基本のビジネスモデルなため、ある意味、飲食業や観光業以上にコロナの影響をまともに受けました。
ちなみに渋谷クラブクアトロ、渋谷ON-AIR等の500~1000人規模のライヴハウスや、古くは中野サンプラザやSTUDIO COAST(閉館)等の1000人超のホール規模の施設も、コロナ禍以前から、前述した野外フェスの超大型化(人気アーティストの独占!?)に伴い、ブッキングに大きな障害が出て、経営が逼迫する事態に陥りました。
いわゆる音楽業界の「弱肉強食」の常態化にコロナ禍が拍車を掛けたわけです。
しかし2022年秋あたりから、規制緩和とライヴハウスファンの我慢の限界(?)が重なって、ブッキングが加速的に増加してきたようです。たとえばクラブクアトロでは22年末以降23年夏くらいまで、ほぼ予約でスケジュールが埋まっている模様。
このような明るい傾向は、街中の小規模ライブハウス(30~50人収容)にも見受けられます。
先日、私も参加した横浜の老舗ライヴハウス&レストランで行われた実力派アマチュアバンドの3年振りのライブには、ファンや友人達が都内&県外から多数集まり、超満員の大盛況。お酒を飲みながら、1曲ごとに大声援を送っていました。
さらに今年3月早々の週末に開催されたライヴの会場は、東京・錦糸町の歓楽(ラブホ)街の雑居ビル。ここでも結成25年のアマチュアバンド・30名による4年ぶりのライブが完売御礼! メンバーのほとんどがアラフィフ、還暦越えだったにもかかわらず、様々な世代のファンが熱い声援を送っていました。
また、このようなライブハウスの活性化現象だけでなく、練習スタジオの予約が取れない現象も引き起こしています。コロナ禍での巣ごもり需要が引き起こした楽器の売上アップ→そのお披露目としてのライヴ開催に結びついており、いわばライヴ音楽の「正のスパイラル」現象が起き始めているわけです。
もちろんコロナ禍に耐え切れず閉店を余儀なくされたライヴハウスもあれば、クラウドファンディング等を駆使して耐え忍んだプロモーターもいます。
しかしそこには、巨大産業化した「under the sun」フェス一辺倒ではなく、街中に蛍のように光を発しながら狭くて急な階段を下りて穴蔵のようなバーカウンター併設のライブハウスで、夜な夜な繰り広げられるライヴと共にお酒や料理を楽しむ「under the moon」を満喫できる世界が復活してきた「明るい兆し」を感じることが出来るというものでしょう。