注文住宅の設計から施工、管理までをトータルで手掛ける日本ハウジング株式会社は、2022年12月26日に創業50年を迎えます。50年以上存続できる株式会社は1,000分の1社しかないとされる中、創業者である馬場駿二会長はどのような経営哲学を持ち、チャレンジを続けてきたのでしょうか。その生い立ちから会社設立の流れ、2007年に代表権を譲った馬場鉄心社長への想いなどを伺ってきました。
■戦後まもない竹田の地で事業を始める
──創業50周年を目前に控え、今日に至るまでを振り返ってください。
馬場 私は1939年に大分市の鶴崎で生まれました。しかし太平洋戦争が始まり空襲や機銃掃射が激しくなってきたので、5歳の時に母の実家がある竹田に疎開しました。父は「馬場家具」という屋号で家具職人をしていたのですが、当時の家具は注文家具が中心で、主に竹田町内の嫁入り箪笥の受注で生計を立てていました。
──馬場会長も一緒に家具づくりを手伝っていたのですか。
馬場 そうですね。私も中学卒業後に家具職人として働き始めました。しかし戦後になると福岡県大川市を中心に家具業界は工業化が進み、個人の家具職人ではとても太刀打ちできない時代になってきました。そこで私は結婚を機に「馬場ウインド建設」として独立し、主に小中学校の椅子や机の受注生産を請け負っていました。25歳になった頃には、店舗改装の受注を始めようと思い立ちました。
──なぜ店舗改装を?
馬場 まだ大型スーパーなどがなかった昭和30~40年代、商店街には活気があり、店舗の改装を手がける店も増えていました。当時の竹田市内には改装業者がなかったので、勝機は十分にあると考えたのです。ところが最初は全然うまくいきませんでした。私は10歳からの10年間、家計を助けるために牛乳配達をしていました。馬場土建を始めてからも続けていたので、大人になっても町の人たちからは“牛乳配達の小せがれ”のイメージが強かったのです。そんな私に、大切なお店の改装を発注する商店主などいるはずもありません。そこで私がやったのは「売上請負」です。
──売上請負とは?
馬場 「私に任せてくれたら、これだけの儲けが出る店舗を実現します。工事費用は、その通りの儲けが出た時に払っていただければ結構です」といった具合に営業をかけるのです。つまり、儲けが出なければ工事費用を払わなくてもいいという、いわば成功報酬型のセールスを提案したのです。この売り文句を打ち出して営業を始めたところ、興味を持ってくれる方が少しずつ増えていきました。最初は「牛乳屋が困っているみたいだから、ちょっと助けてやろう」といった程度だったようですが、改装後に発注したお店の利益が出始めると評判が評判を呼ぶようになりましてね、次々と注文が取れるようになったのです。
──営業のやり方を変えることが功を奏したのですね。
馬場 でも長くは続けられませんでした。理由は人手不足です。当時の店舗改装は二晩ほど徹夜をして一気に仕上げることが多く、これが職人に敬遠されましてね。高度経済成長期でもあり、他にも仕事がたくさんあったので、どこからも引っ張りだこ。せっかく受注しても引き受けてくれる職人がいなくて、どうしようもありませんでした。
■建売住宅の販売からFC経営に挑戦
──人手不足という壁にあたり、次に取り組んだ事業は何だったのでしょう。
馬場 不動産業です。当時は豊肥本線沿いに不動産屋が1軒もない時代でした。そこで不動産業を開始して住宅建築の営業を仕掛けようと考えたのです。最初は農家に絞って、営業訪問を重ねました。ひとつの田んぼがあれば、10戸は家が建ちますからね。1軒ずつ農家を訪ねては、「お宅の田んぼを売りませんか?」と声をかけて回りました。同時に10戸分の注文も取って、職人に支払う施工代を捻出していきました。でも人口の少ない竹田市内だけでは手詰まりになり、生まれ故郷でもある大分市へ進出して建売住宅の販売をしようと考えたのです。
──いよいよ日本ハウジングの創業につながるのですね。
馬場 はい。当社は1972年に不動産・住宅販売会社として創業しました。最初に営業を仕掛けたエリアは、大分市内でもっとも竹田に近い戸次地区でした。その頃の戸次地区で建売住宅の販売をする同業者はいませんでしたから、全国的なマイホームブームもあって面白いほど成約を獲得できました。ただし時代が進むに従い大手業者も建売住宅に力を入れるようになり、当社よりも安い土地単価で売り出すようになってきました。そこで調子のいいうちに建売住宅の販売をスパッとやめて、注文住宅の設計・施工・管理をトータルに手掛ける現在の事業形態に転換したのです。
──90年代になると、アイフルホームとユニバーサルホームのフランチャイズ展開をされていましたね。
馬場 はい。アイフルホームと契約し、その後はユニバーサルホームと契約しました。ご存知のとおりトーヨーサッシ(現・トステム)から社内ベンチャーでアイフルホームを立ち上げた加藤充社長は、日本の住宅FCの先駆けを築いた人物です。彼のような人物との関係を築ける貴重な機会になると思い、FC加盟を決めました。引き続き加藤社長がユニバーサルホームを創設したので、再び契約をしたのです。