※「第19回 千壽 智明さん/海地獄代表(鉄輪支部会員)#1」からの続き
■千年続いてきた「地獄文化」の魅力を再認識
──地獄めぐり観光に対する想いを、あらためてお聞かせください。
千壽 実は「地獄」という呼び名は、地獄めぐりがスタートした時に生まれたものではありません。もともと鉄輪のあちこちで見られる熱い噴気は厄介者扱いされており、それを「地獄」と表現したのが始まりで、千年も前から根付いている呼び名なんです。そんな厄介者の地獄に景勝地としての価値を見出し、明治43年(1910年)に開園させたのが、曾祖父である千壽吉彦でした。
──地獄めぐりが別府を代表する観光コースになり得たのは、どうしてだと思いますか。
千壽 それはやはり、別府が持っていたポテンシャルがハンパないからです。本来、自然発生的に生まれる温泉の湯だまり、つまり「地獄」は火口近くにできるものであり、その周辺は殺伐としたものになりがちです。しかし別府は地層や水の流れなどの諸条件が相まって、鶴見岳から鉄輪・明礬エリアにまたがる範囲に200箇所以上の湯だまりが出来ています。火山から遠く離れた、人の住む地域に「地獄」ができる。これは全国的にも珍しく、庭園として整備すれば「桜と地獄」「紅葉と地獄」といったさまざまなシチュエイションも楽しめます。「地獄」があること自体、別府のポテンシャルの高さを表していると考えます。
──世界的に誇れる別府温泉でしか実現できない観光地と言えますね。
千壽 しかし千年以上も前から存在し、百年以上も続く景勝地でありながら、別府の地獄が持つ文化や歴史をきちんと発信できているかといえば、そうも言えない現状があります。だからこそ「ギャラリーAO」をつくったわけですが、海地獄を訪れるお客様には、単に「青くて綺麗だね」という感想だけで終わらせることなく、新たな感動体験を伝えていきたいと強く願っています。
■別府だからこそできる「地獄」エンターテインメント
──別府独自の財産を発信していこうという思いが込められているのですね。
千壽 「地獄文化の継承に磨きをかける」という目的で、株式会社Dots&Lという企画会社も立ち上げました。2020年10月に実施した「THE HELL in 海地獄」というイベントでは、新しい客層の注目を集めました。新型コロナの緊急事態宣言が解除された時期に、海地獄の湯けむりがライトアップされるなか、DJによるクラブミュージックと美味しい料理を楽しんでもらいました。100人限定の完全招待制として、試験的に実施したイベントだったのですが、当日の様子をSNSにアップしてくださる方も多数いて、大きな手応えを掴めました。
──幻想的な演出で、かなり盛り上がったイベントだったのでしょうね。
千壽 イベントで目指したのは、パーティーに参加しながら「地獄」の魅力を実感してもらうことです。「ギャラリーAO」のようなアカデミックなアプローチではなく、カラダで「地獄体験」をしてもらいたかったのです。今後も違った角度からイベントを仕掛けていくことで、別府を訪れた皆さんに「価値ある観光」を発見していただきたいと考えます。
──これからの事業展開が楽しみです。
千壽 父が他界した後、新たな経営体制を手探りで体得していく過程で、「地獄文化」が持つ価値を理解することができました。この別府でしか成立しない観光スタイルを、次世代に伝えていくのは私たちの役目です。その思いを成就させるためのキーワードは、「共感」と考えます。どんなに高いポテンシャルを持っていたとしても、共感なきものは後世に残りません。ひとりでも多くの方に共感していただけるために、何を、どのように伝えていくか、その答えを見つける作業を丁寧に進めていきたいと思っています。