[第40回 ポルシェとジョブ理論]

【問い】
「新車を今買うか、新しい技術が普及するまで購入を伸ばすか?」
今、世界を取り巻く自動車環境は電気自動車への移行時期です。しかし欲しい車はガソリンエンジン。今買って乗らなくなった頃のリセール・バリューを考える頃には、二束三文になっているかもしれません。

【方向性】
スポーツカーの代名詞、911。それを世の中に送り出すポルシェは、この取り組みに対して正面から取り組み解決策を提示しています。従来のガソリンエンジンは、化石燃料由来の燃料ということでCO2の排出に大きな影響を与えました。しかし、既に走っている自動車を電気自動車に置き換える過渡期において、走れる車をスクラップにして新車を普及させることもナンセンス。そう考えたポルシェは、既存の911オーナーに対して新たな環境技術で脱炭素を後押しするのです。それは、水素からガソリンを生成して提供することに取り組んだのです。

【解説】
■水素ガソリン
ポルシェはドイツのシーメンス・エナジーなどとタッグを組み、チリ南部パタゴニア地方で風力発電を活用した水素ガソリンのテスト生産をはじめます。
生産地のパタゴニア地方は常時風が強いことで知られ、南半球で偏西風が吹く唯一の陸地です。その風はアンデス山脈にぶつかり、冷やされ、密度が高くなったアンデスから吹きおろす風は風力発電にも最適なエリアとされます。
その風力発電で得た電力から水を電気分解して、水素を取り出します。そこに回収したCO2を化学的に合成することで、ガソリンと同じ炭化水素(水素ガソリン)を作るのです。

今回のポルシェの初期投資は2000万ユーロ。日本円でおおよそ26億円です。
計画では22年に年間13万リットルを生産し、26年には約100万台分に充当する5億5千万リットルを生産します。生産した水素ガソリンは既存のガソリン車に使用でき、ディーラー等を介して既存ユーザーに直販するのです。

課題はコストです。
テスト生産では1ℓ当たりの生産コストが10ドルで、26年の量産時期までに2ドル以下をターゲットにしています。ガソリンの生産から輸送、販売コスト、税金等を考えればオーナーが購入する小売価格はやや高くなるでしょうが、911を中心にしている特別な顧客にとって、既存のガソリン車がこれからも乗れるのであれば、合理的な提案となるでしょう。

■911
ポルシェ911は、1964年の発表から今に至るまでスポーツカーの代名詞であり、ポルシェのフラグシップモデルでもあります。
一貫してRR方式(リアエンジン・リアドライブ方式:車体の後部にエンジンを配置し、後輪を駆動する方式。駆動するタイアに重荷が大きく、発進時の機動が機敏になる。またブレーキ時も4輪にかかる荷重がバランスされ、安定した走行を実現する)を基本として、21世紀の現在では量産RR車として独自のポジションを構築しています。

1990年代までは、4輪車では数少なくなった空冷エンジンを搭載していたことでも有名で、時代によって多少の変化はあるでしょうが基本的なデザインは不変であり、これがポルシェの代名詞になっているのです。

さらに注目するのは、その利益率です。
911の販売は2020年の販売ベースで3.4万台と、ポルシェ全体の約1割程度です。販売車種としてはカイエンなどのSUVが売り上げを伸ばしていますが、実は911が稼ぐ利益はポルシェ全体の3割を占めています。ポルシェオーナーは大切にポルシェを乗り継ぐことから、過去に生産されてきた911の7割は、今でも現役で世界を走っているのです。

ポルシェにとって稼ぎ頭の代名詞であり、生産された7割が現役で走っている911。これをテクノロジーが変わるからと言って「全て電気にシフトしてね」というのは、やはり大きな課題だったのでしょう。
そこで水素ガソリンの生産から供給というエコシステムを独自で作り、911オーナーを中心に提供する取り組みを開始したのです。

他方で、ポルシェはEV化の商用も進めています
20年に投入したセダンタイプのEVであるタイカンは年間に2万台の販売を実現して、現在でも注文過多でフル生産を続けています。23年以降は売れ筋商品であるSUVのマカン、カイエンとセダンタイプのパラメーラのEVシフトも計画しています。ポルシェは2030年の新車販売の8割をEVにする計画です。

ポルシェの取り組みは、既存の911を中心とするガソリンオーナーの将来の悩みを解消するばかりではなく、水素ガソリンを活用することでカーボンフリーの取り組みを推進するという素晴らしい発想で事業を進めています。
それは、ガソリン車とEVの共存です。利益率の高い911を水素ガソリンで維持することが出来れば、環境対応と事業の両面の帳尻も合うのです。

■ものを大切にする文化
SDGsと環境と両立する社会が求められる中、多くの日本企業はいまだに逆行した行動で成り立っています。大量生産を進め、商品アイテム数を拡大して在庫を抱え、まだ使える商品に対してリプレースを促進し、その中で利益拡大を得る。いわば高度成長期と変わらないビジネスモデルです。

マスク、ファーストフード、冷食、食器や家具など日常的に使う商品から家電、車、住宅までを見渡すと、日本国内ではどこか「使い捨て」の感覚が色濃く普及しています。
もちろん経済を合理的に回す、衛生面を保つ、コストを下げて提供するといった点では必要な面もありますが、過度な安全・安心・コスト安にばかり目を向けると、商品が本来持っている文化的側面と思想を壊す恐れもあるでしょう。

かつての日本は、もの大切に使うことが当たり前でした。
茶碗や漆器や着物などはそもそも高価なもので、複数所有することなく、大切に修理して世代を渡り使用されてきました。つぎはぎや金継ぎなどの技術は、ものを大切に使うだけでなく、修理して修復を施すことで、むしろ価値を上げる粋な技でもありました。

私がスイス機械式時計ブランドを創業したきっかけも、まさにモノを大切に使う文化を取り戻すことでした。スイス、フランス、ドイツ、イギリス…。街中を歩けば古い商品が大切に修理されてリセールされています。ものに対する価値は新しいものよりも、使用した歴史あるものに対して一目置く文化が、今でも生活に残っています。
たくさん所有することなく、自分が良いと思ったものを長く使い続ける。機械式時計は200年前の技術をベースに、スイスの職人たちと手作業でつくっていきますが、たとえ文明が途絶えても同じ部品を削り出し、組み立てることで、後世でも継続して使用できます。

■購買後の取り組みを重視すること
クリステンセンが主張したジョブ理論の中で、購買後の使用にフォーカスする「リトルハイア」の重要性があります。
企業のビジネスモデル自体、「売ること」をゴールと捉えるのではなく、「販売すること」をスタートと捉えて顧客と関係構築を行い、その後の商品の使用やサービスの提供の中で顧客が問題を解決していく。そこに注目すると、自ずと顧客との関係性が高まり、永続的な事業につながっていくのです。

ポルシェの革新的な取り組みは、最新のEV技術を推進する中で、既存のガソリンエンジンがそのままの形で後世でも使用できるビジネスモデルを考え、実現しているところにあります。
誰でも思いつくことができるアイデアかも知れませんが、実際にテストマーケティングを行いながらその構想を示しています。

確かに911はポルシェを象徴するアイコンです。利益率が高くても販売が続き、過去の販売者の7割の車が今でも現役であることを捉えると、それだけ多くのオーナーがこよなく911を愛しているのです。そこに対して正面から環境対策に取り組み、911のオーナーはそのガソリンまで気遣っている。将来的にはそのようなキャッチが浸透することが目に浮かびますね。
さぁ、今911の購入をためらっている皆さん。臆せずに買いましょう!

■関連動画 YouTube「早嶋聡史のチャンネル」
「ジョブ理論41 ポルシェの事例、ガソリンエンジンとEV化を併存させる戦略」

profile

早嶋 聡史 氏
(はやしま・さとし)
株式会社ビズナビ&カンパニー 代表取締役社長
株式会社ビザイン 代表取締役パートナー
一般財団法人日本M&Aアドバイザー協会 理事
Parris daCosta Hayashima k.k. Director & Co-founder

長崎県立長崎北高等学校、九州大学情報工学部機械システム工学科、オーストラリアボンド大学経営学修士課程修了(MBA)。
横河電機株式会社の研究開発部門(R&D)にて産業用ネットワークの研究に従事。MBA取得後、海外マーケティング部にて同社主要製品の海外市場におけるブランド戦略・中期経営計画策定に参画。B2Bブランディングの先駆けとして後に知られるようになったVigilanceという力強いブランドキャンペーンを実施。退職後、株式会社ビズナビ&カンパニーを設立。戦略立案を軸に中小企業の意思決定支援業務を行う。また成長戦略や撤退戦略の手法として中小企業にもM&Aの手法が重要になることを見越し小規模のM&Aに特化した株式会社ビザインを設立。更に、M&Aの普及活動とM&Aアドバイザーの育成を目的に一般財団法人日本M&Aアドバイザー協会(JMAA)を設立。近年、アナログの世界に傾倒すること、価値を見直すことをテーマに、自ら高級スイス時計のブランドであるパリス・ダコスタ・ハヤシマを設立する現在は、売上規模数十億前後の成長意欲のある経営者と対話と通じた独自のコンサルティング手法を展開。経営者の頭と心のモヤモヤをスッキリさせ方向性を明確にすることを主な生業とする。
【著書・関連図書】
できる人の実践ロジカルシンキング(日経BPムック)
営業マネジャーの教科書(総合法令出版)
ドラッカーが教える実践マーケティング戦略(総合法令出版)
ドラッカーが教える問題解決のエッセンス(総合法令出版)
頭のモヤモヤをスッキリさせる思考術(総合法令出版)
実践『ジョブ理論』(総合法令出版)
この1冊でわかる! M&A実務のプロセスとポイント(中央経済社)
【関連URL】
■YouTube「早嶋聡史のチャンネル」
https://www.youtube.com/user/satoshihayashima/videos
■早嶋聡史の戦略立案コンサルティング
http://www.biznavi.co.jp/consulting/strategy_planning

■早嶋聡史の事業実践塾
http://www.biznavi.co.jp/businessschool

■中小企業のM&Aビザイン
http://www.bizign.jp
■月々1万円で学ぶ未来社長塾
http://www.mirai-boss.com/
■独・英・日の時計好きが高じて立ち上げたスイス時計ブランド
https://www.parris-dacosta-hayashima.com/