「あの人に聞きたい 第15回 飯沼 賢司さん/別府大学 学長 #1」からの続き
■古代日本の神とは、時代を写す鏡のような存在
──奈良の東大寺の大仏建立にも八幡神が大きく関わっていると聞きますが、その関係についてお聞かせください。
飯沼 先ほどのお話と前後しますが西暦749年、八幡神を憑依させた宇佐宮の女性神官が輿(こし)に乗り、鋳造が終わったばかりの大仏を拝むため、奈良の京に来ました。しかし聖武(しょうむ)天皇らが行幸する東大寺に、わざわざ九州の神官が輿に乗ってやって来るというのもおかしな話ですよね。実はこれ、八幡神が日本国中の神々を率いて大仏の完成に協力したことを知らしめるイベントなんです。つまり八幡神は日本の神々を仏教世界へ誘(いざな)う神として、「神仏習合」の推進役となり、聖武天皇が描く仏教国家を実現するためのキーパーソンの役割を与えられたのです。宗教や神様は普遍的なものと捉えがちですが、実はそうではありません。八幡神はまさに律令国家の成立とともに「国境の神様」として政治的に登場し、さらには「神仏習合」の中心的存在にもなった、時代を写す鏡のような存在だと思っています。
──ところで一般的な神社の拝礼作法は「二礼・二拍手・一礼」ですが、宇佐八幡宮や島根県の出雲大社、あと新潟県の弥彦神社は「二礼・四拍手・一礼」です。これはどういうことなんでしょう。
飯沼 出雲大社と宇佐八幡宮には、拝礼作法以外にもいろいろと共通点が多いのです。まずは、どちらも国がせめぎ合う境界に位置している点です。同じ「二礼・四拍手・一礼」の作法を持つ新潟県の弥彦神社も、同じく境界線に位置すると考えられます。これに加えて、出雲大社と宇佐八幡宮は、どちらも渡来系の神様を祀っている点があげられます。出雲大社の祭神は有名な大国主神(オオクニヌシノカミ)ですが、先祖となる須佐之男命(スサノオノミコト)は渡来系の流れを受けているという説があるのです。「記紀」の中で描かれている国譲りの話も、出雲にあった国家をヤマト国家が征服した出来事であり、征服後に出雲大社を造立して大国主神を祀ったのは、彼に対する畏れがあったのかもしれませんね。
■専門分野を超えて納得できるまで研究する
──中世史の専門にはじまり、宇佐八幡宮の研究を通じて古代史まで紐解くようになった飯沼学長ですが、苦労されたことも多かったのでは。
飯沼 私の中では大変な冒険だったと言っていいでしょう(笑)。ですが私は、家族史の研究も手がけています。家族史は、歴史学や社会学、考古学など多方面の分野から捉えないと辻褄が合わない部分が出てきます。その点、自分の専門分野に凝り固まって他の分野をなおざりにする研究者もいますが、私はそうはしたくありませんでした。だからこそ専門とする時代や分野を超えて、納得できないことは納得できるまで研究してみようと思ったのです。結果的に八幡神という深い沼にハマってしまいましたが(笑)。
──今後の研究について、そして学長として学生に伝えていることを聞かせてください。
飯沼 近々取り上げてみたいのは、三浦梅園が掲げた観光戦略です。三浦梅園は江戸時代の思想家・哲学者ではありますが、その側面からだけでは取っ付きにくくて分かりにくい人物と思われがちです。しかし〝観光プロモーター〟として彼の足跡を辿ってみると、非常に興味深い取り組みを展開していることがわかってきます。たとえば彼は国東の文殊仙寺に松尾芭蕉の歌碑を建てているのですが、その歌碑には発句だけを刻んでおり、下の句は公募型式にしています。つまり「国東の美しさを見て感じ、句を完成させましょう」という提案をしているのです。これは面白い発想です。このように違った側面から梅園を捉えてみることで、新たな発見ができればと考えています。
私は学長として、常に好奇心を持ち、「ワクワクすること」に挑戦することを学生に勧めています。いつまでも挑戦し、学生と共に育つ。これが別府大学の「共育」の精神です。