※「第23回 米国と中国、その行方 #1」 「第24回 米国と中国、その行方 #2」からの続き
第25回 米国と中国、その行方 #3
■問い
米中関係の争いは今後どのようになるのでしょうか?
そもそも解決できるのでしょうか?
■答え
パナマ運河を活用した航路を開発した米国でしたが、すでに中国は複数の国によって支配を受けており、分割されていたところでした。そこで米国は幾度となく中国を手助けする動きをしましたが、なかなか思うようにいきません。
このとき中国は、大陸を中心とする官僚主義的な政治と、沿岸部を中心に自由貿易による経済を発展させる政治と、異なる政治が行われていました。
その結果、1911年の辛亥革命により沿岸の力(シーパワー)が内陸の力(ランドパワー)を封じ込めたのです。
【中国共産党と国民党】
しかし、このまま内陸の力が黙っていたわけではありません。
ロシア革命の影響を強く受けた共産党は、はじめこそは中華民国と手を組みましたが、自らの軍隊は北京に残したままでした。中国共産党は「北京財閥打倒」を掲げて国民党に協力(国共合作)するも、1925年の孫文の死去とともに蒋介石がクーデターを起こし、南京に国民政府を成立させます。このときも浙江財閥が資金を共有し、英米も蒋介石を支持しました。
「シーパワー」と「ランドパワー」は所詮は水と油、うまくいかなかったのですね。
当時は世界大恐慌の真っ只中。満州事変で日本が中華民国との武力紛争を開始した時期であり、そのため日本は英米と戦うことになります。つまり中国本土は「日本」「米英+蒋介石率いる国民党」「ソ連+毛沢東率いる中国共産党」という3者間の対立に発展してくるのです。
この時、日本が無茶に参戦しなければ、米英が中国にバックアップすることもなかったでしょう。そうしたら共産党の動きは鈍かったと推測できます。当時の日本軍の動きは、実に馬鹿げた行動だったと思われます。
国民党は沿岸の力=シーパワーの発想で自由貿易で経済を成長させる考えです。金持ちが富を得て、貧富の差は拡大するばかりです。
対する中国共産党は大陸の力=ランドパワーの発想で官僚主義を貫き土地分配を約束します。その結果、貧困層の圧倒的な支持を得たのです。
【2つの中国の誕生】
日本軍の撤退後、共産党は内戦でも勝利します。蒋介石率いる国民党は台湾に戻り、毛沢東率いる中国共産党は中華人民共和国を誕生させます。ソ連はといえば、一時は共産党と同盟を結び、朝鮮戦争で米国と戦ったのですが、隣国の存在は常に敵であったことは変わりません。さらに米国がソ連と中国のどちらを選ぶかを迫った結果、ソ連を敵にしたことから激烈な中ソ対立がはじまります。
米国は中国を攻めることなく、むしろ分裂を防いでソ連との争いを助ける側にまわります。これも今では考えられないことですよね。
1972年、ニクソン大統領は中華人民共和国を訪問して毛沢東や周恩来と会談しました。このニクソン・ショックにより、極秘にすすめていた米中交渉が公になったのです。
しかし、毛沢東の政治はバリバリの社会主義です。すべてを国有化して、国民は党の指示で動き、個々の努力に関わらず報酬は一律に定められました。
しかし、そのうち国民は仕事をすることが馬鹿らしくなり、生産性は最低ラインに達します。肝いりの計画経済「大躍進」は失敗に終わってしまったのです。
その結果、党の腐敗が進み、いわゆる「今の中国」のイメージが出来上がってきます。
【文化大革命と天安門事件】
ここで鄧小平と共に「資本主義の道を歩む実権派」の劉少奇は、ソ連型の政策にNGを呈して資本主義の選択を提案します。「ランドパワーの毛沢東」と「シーパワーの劉少奇」の考えが、再び中国を二分したのです。
毛沢東としては大躍進政策が失敗に終わった責任をとり、国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲ったものの、常に自身の復権を画策していました。そこから文化大革命を主導し、ついに復権を果たしたのです。この時、もし劉少奇が党をリードしていたら、今の中国の姿は変わっていたことでしょう。
1976年、毛沢東が亡くなった後、実権派の鄧小平が政権を引き継ぎます。
彼の思想は、いわゆる「いいとこ」取り。経済成長と党の独占支配を両立させたい。
その象徴が社会主義市場経済です。改革開放政策により市場経済を認め、外資導入で経済成長を後押しします。かたや土地は国有化し、企業に付与する許認可制度を採用します。これらの政策により、共産党が力を維持することができたのです。
しかし、ここで再び賄賂があたりまえの世界がはびこるようになり、一党独裁による党の腐敗が進みます。貧富の差が生まれ、隠蔽体質の党体制に対して国民の不満もたまってきます。
当然、民主化の動きが始まり、胡錦涛主席も政治の民主化を考え民主化デモを容認します。そこで当時の共産党と争うなか、胡錦涛は心臓発作をおこして急死します。
この一連の象徴が、いわゆる天安門事件です。民主化を主張する学生と共産党の戦いです。ここでは周知の通り戦車を導入した鄧小平が圧倒的な武力で学生たちを制圧し、結果的に再びランドパワーがシーパワーを封じ込めたのです。因みにこの一連の騒動に対して、利益を上げることができた外資系企業は一切を黙認します。
【中国の覇権拡大】
そんな最中、香港は「一国二制度」という名の下、50年間の自由という縛りをつけて中国へ返還されます。
鄧小平時代、中国海軍には「死島線」という概念がありました。
これは沿岸から徐々に中国の領海を増やして米国の力を排除しようとする考えです。沖縄、台湾、フィリピン、南シナ海が第一列島線で、第二列島線のシナリオは伊豆諸島、小笠原諸島、硫黄島、米領のサイパン島、グアム、パラオという、とんでもない計画です。
つまり鄧小平は米国と歩み寄る姿勢を見せながら、ジワジワと準備を進めていたのです。彼の語録にある「韜光養晦(とうこうようかい)」、日本語に訳すと「能ある鷹は爪を隠す」は、いま思えば実に不気味な言葉です。
そして1991年、ソ連崩壊で北の脅威が消滅します。
これを機に、中国のビジョンは一気に世界へ向き始めます。
胡錦涛時代の2003年から2013年は、尖閣海域への公船派遣、東シナ海のガス田開発に着手。いわば着実に第一列島線の計画を実行しているのです。
そして習近平が国家主席となった2013年には、南シナ海の環礁埋め立て、軍事要塞化など、第二列島線の動きに入ったといえるでしょう。
【米国と中国の行方】
2020年現在、米国と中国の関係はどうなっているでしょう。
両国に関連した隣国の動きを観察すると、国別にひとつの考えが存在するのではなく、国の中で異なる考えが対立し、その時々の偶然が重なり一国の考えとなり、世界が動いていることがわかります。
単に「米国はこうだ!」とか「中国はこうだ!」と論じることは難しく、国の中にある対立やそれぞれの力関係を考えていくことが重要になってくるのです。
【まとめ】
米中貿易戦争に加えてコロナ禍の時代、今回は世界経済に大きな影響を与える2つの国がたどってきた道を振り返ってみました。
米国は西部開拓の開拓民から始まります。
フロンティアスピリッツが当たり前。厳しい環境から原理主義的な思想が定着します。そこに移民をバックグラウンドとする民主党が入って来ます。農業中心の南部と、産業中心の北部が戦う南北戦争では北部が勝利し、そこから世界を目指して太平洋航路が開拓されました。
中国の脅威はずっとソ連でした。
そこで沿岸部では、開放経済を推し進めるシーパワーがリードします。かたや内陸部では、統治に最適な官僚主義や共産主義を掲げるランドパワーが正当化されました。そこには「経済と独裁」という2つの相反する概念を共存するジレンマがありました。その結果、天安門事件が起こり、今の中国が形成されたのです。
巨大な国土に、対立するふたつの考えが入れ替わった米国と中国。
両国が相容れないことは理解できます。
ただし米国も中国も、時の政権や政治的思想がシーパワー(=開放経済)同士だったとしたら、良好な関係が築けたかも知れません。
鄧小平時代の米中関係は友好的でしたし、クリントン政権時も良好な関係が保たれていました。
しかしトランプ大統領と習近平国家主席は、ガチガチの対立思想です。
次の選挙でトランプが負け、バイデン率いる民主党になれば、米中関係は今より改善されるでしょう。
ここで「敵の敵は味方」という視点に立つと、米中が争っている時のほうが日本は漁夫の利を得られます。
習近平がブイブイ言わせてトランプと争っている方が、日本に実利が落ちてくる…。
そんな邪推な考え方もアリかも知れませんね。
参考図書:「歴史で学べ!地政学」茂木誠著
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