「レガシー」とか「シビックプライド」って絵空ごと? #02
「ケンメイな歩き方 〜転ばぬ先のおおいたんチエ〜 第1回 #01」からの続き
その祝祭の広場は開けてビックリ玉手箱というくらいこちらの想像を遙かに上回る劇的な盛況ぶりを見せた。ある大手広告代理店の人間曰く「地方開催地では大分がひとり勝ちで、その象徴が祝祭の広場だった」と。
確かにMAX5,000人の入場者があったパブリックビューイング開催時の光景は壮観そのものだった。始めは観客席の大型モニターでのパブリックビューイングのみであったが、市の担当部所は来場者のニーズを素早く察知し、一般の飲食ブースにモニターを数台増設、しっかり来場者の心を掴んだ。場内での外国人観光客と日本人が、ラインアウトのリフトアップで戯れたりの交流の姿は眺めるだけでも幸せな気分になった。シャイで人見知りと言われた県民性はどこへいったの? それこそモールやラックに自ら突っ込んでいくような積極的交流姿勢には、県民性そのものが変わったのかと目を疑うほどだった。 街の飲食店や商店街も当初は客の流れに戸惑っていたところが多かったものの、ディスプレイを設置したり期間中にあの手この手でいろんな工夫や発信をするようになり、日を追うに連れて街中への賑わいも拡がりを見せた。
決していいことばかりではなかったと思うものの、僕が見聞きする限り、このラグビーワールドカップというものはネガティブな点を遙かに凌駕するポジティブな効果をもたらしたと思う。このように「官」が短期間の間にいろんな改善を急速度で成し遂げていく姿は(失礼ながら)初めて見たし、「民」も身を乗り出してアピール・発信したところはしっかりと手応えを掴んだようである。
ワールドカップが始まる前、盛んに「レガシー」の創造だとか「シビックプライド」の醸成だとかの言葉を頻繁に耳にした。そもそも一般市民には耳慣れない言葉だし、綺麗ごとに聞こえた人も多かったと思う。しかし、この長くて短い一ヶ月を経て、少なくともそのきっかけは実際に生まれた、と僕は感じているし、手応えを感じている人もは決して少なくないはずだ。大分の人々がこんなに積極的にうねりの中に飛び込んで行く姿を見ることになとるとは、20年前に家業承継のために脱サラして大分に戻ってきたときは想像だにしなかった。
これは今回のラグビーワールドカップだけで一気に生まれてきたものではない。振り返れば2002年、サッカーワールドカップの試合がここ大分で開催された。どちらかというと地元に対し自虐的で自信がなかった大分県民は、オリンピックにも比肩するような世界的スポーツイベントが大分で開かれて成功したことで、潜在的に一定の自信を得たと思う。この17年前のサッカーワールドカップがベースにあってこその今回なのだと。
そしてその後、大分トリニータがJ1に昇格したり(降格もあったけど)、バサジィやヴァイセアドラーといったプロスポーツチームも生まれたり、郊外には大型商業施設が次々とできたり、パルコやフォーラスが無くなったり、大分駅にアミュプラザができたりと、ものすごい変遷を経て、それが大分の引き出しとなって積み上がってきたことが「潜在力」になっているとも思っている。
2002年サッカーワールドカップで大分はホップし、今回の2019年ラグビーワールドカップで大きなステップを踏んだ。いよいよジャンプしなければならないのは我々である。僕らがどんなにしっかり強くジャンプするのか。僕ら自身の熱意と資質が問われている。