第8回 経営とアート
■問い
「世の中の経営は、サイエンスが重要で、アート的な感覚的な捉え方や概念は、排除して考えるべきです」。果たして本当でしょうか?
■答え
アート的な感覚や捉え方は、むしろ今のような混沌とした世の中にこそ必要な能力です。
昨今、大企業やグローバル企業の経営層は積極的にアートを経営の意思決定に取り入れるため、自らの能力を強化しています。その背景は、サイエンス的、論理的な情報処理能力による意思決定に限界がきているからです。
また、世界経済が一気に成長するにつれ、人間の欲求が一斉に自己実現に向かい始めます。
更には、変化が激しい時代はルールそのものが陳腐化され、創造的な解釈と人として正しい倫理的な感覚がなければ、正しい意思決定が出来なくなるのです。そして、その能力や感覚こそがアートであり、そのためにアートを取り入れ強化する考え方が出現しています。
■解説
近年、大手企業やグローバル企業の経営層ではアート感覚や美的意識を鍛える取り組みが行われています。その背景に分析、理論、理屈、理性を基軸とした経営や意思決定が、昨今の複雑な環境下では意味をなさない場合が出てきたからです。
このことをサポートするポイントが3つあります。
以下に、ひとつずつ説明していきましょう。
1.論理的、或いは理性的な情報処理スキルに限界が見えてきた
これには、大きく2つの要因があります。
まず、大学機関や研究機関の進歩、或いは企業研修等の発達によって、大勢の経営陣やマネジメント層が論理的な情報処理のスキルを身に着けました。その結果、世界中の経営の現場において、いわゆる「正解の氾濫」が生じています。
論理的思考は長らく、経営のツールとして必須とされてきました。しかし、論理的に情報を処理するということは、前提や観察した条件が一定であれば、皆が「同じ解」にたどり着くことを意味します。結果的に差別化の要素が薄まり、極端な話、どの企業も打ち手が同じになってきます。
従って、感覚的な解やアートの感覚を取り入れることをしない限り、この状況を脱しにくくなったのです。
もう一つは、論理的な情報処理のスキルに対して、「方法論の限界」が見えてきました。
「VUCA」というキーワードを聞いたことがあるでしょうか。元は米国陸軍が世界情勢を分析した際に表現する時に使われた言葉です。
Volatility:不安定
Uncertainly:不確実
Complexity:複雑
Ambiguity:曖昧
昨今の時代の特徴を表現する言葉を並べられた造語です。
VUCAの時代は、論理的に問題解決をすると、経営に対してミスリーディングを招く可能性が出てきています。従来の前提条件は、問題の発生とその因果を比較的整理して言語化、構造化して理解することが出来ました。
しかし、問題を構成する因子が急激に増加して、そしてその因果関係もより複雑に絡み合っています。そのような際は、厳密に現状を整理することが難しく、結果的に問題解決のアプローチが使えなくなっているのです。
VUCAの時代に合理性を求めれば、そもそも整理が出来ないため、いつまでも解が整理できず、結果的に経営の意思決定が出来なくなるのです。
そこで、合理性の対局である、モノゴトの全体を直感で捉え、解を導き出す「創造的な能力」が求められるようになっています。
2.世界中の市場が自己実現のための消費に向かっているから
2000年ころからIT革命がスタートして、2007年頃にスマート革命が始まりました。
その頃から急激に世の中の経済が世界レベルで成長しはじめています。昔は、世界規模で成長を遂げている地域や国は、ほんの一握りだったのに対して、昨今は地球規模での経済成長が観察されるようになりました。結果、多くの市場において自己実現を求める傾向が強まっています。
欲求5段階説の提唱者であるマズローによれば、人間の欲求は低位の欲求である生存欲求から上位の欲求である自己実現の欲求に分類できるといいます。
経済成長の恩恵により、人々はこれまでの安全で快適な暮らしを追い求める「安全欲求」から、徐々に集団に属する「帰属欲求」、そして他者から認めてもらいたい「承認欲求」と進んでいきます。そして最終的には、自分らしさを実感できる生き方を実現したい「自己実現欲求」へと進展します。
このように世界的に経済が発展すると、精密な企業のマーケティング活動を用いて論理的に機能優位性や、価格優位性を説いても、人の自己実現欲求を満たすには物足りなくなっていきます。
そして結果的に「感性」「感情」「美意識」が重要になってくるのです。
当然、企業にとっても意思決定の最前線にいる経営陣やマネジメントに対しても、感性や美意識を磨くことで、競争優位を勝ち得る要因となっていきます。
3.急激な環境変化によって既存のルールや規制が追いついていないから
急激な技術進歩の結果、法律や規制が現実の世界に追いつかない事例が多々観察されるようになっています。
法律やルールは、何らかの変化が起こると必ず遅行して制定されます。そのため変化の激しい、そしてVUCAで表せられる昨今は、既に明文化された法律や規制だけを拠り所に経営の意思決定を行ってしまうと、結果的に倫理観を大きく損ねる恐れがあります。旧ライブドアの事件や一連のDeNAの不祥事は、まさに上述を示す事例として考えることが出来ます。
変化が目まぐるしい昨今、法律や制度や規制は、変化に追従する形で、常に遅行して議論が開始され、時差を経て制定されます。そんな世界において、高い質を維持しながら意思決定するためには、明文化された法律やルールだけで判定するのではなく、個人の感覚や美的センスなどを加味することが大切です。
昨今の人工知能の研究を深める企業の多くは、内部に倫理的な議論を進める組織を併設しています。変化とスピードが早い人工知能の世界で、経営的な意思決定をする場合、その活用を内部の別の価値観で判断するようにしているのです。
このような意思決定を見ると上述のIT会社との格の違いを感じます。
■経営におけるアートとは
アートと捉えると、マーケティングを行う際の広告宣伝のセンスの良さや、商品パッケージの見た目をイメージするでしょう。
しかし経営におけるアートは一つ上の視点で捉えると理解が深まります。
例えば合理的で実践的な経営判断の良さは、「経済的な利益の追求」に加えて、「倫理的な側面」「企業のミッションに即した判断」「従業員の価値を大切にした取り組み」「顧客にフォーカスした真摯さ」「社会に還元する正しさ」など、複数の取り組みを総合的に判断する必要があります。それらの判断基準は全てを合理的に記述して表現することは難しく、ある種の特殊な能力が必要とされます。
アートはその側面を持ち合わせた能力なのです。
伝統的な経営は、さまざまな経営指標によって管理されて来ました。
資本回転率や生産性などです。
しかし、これらは全体の経営のごく一部しか表現しておらず、かつ計測可能な側面にしか触れられていません。
米国のコンサルタントの1人、エドワーズ・デミングは次のように言っています。
「測定できないものは管理できない、と考えるのは誤りである。これは代償の大きい誤解だ」と。
これらの世界は、本来の日本的な経営に宿った捉え方だったと思います。
もともとは個人や組織の判断基準があり、しかしそれが言語化されず、組織で暗黙のうちに守られてきました。そして逸脱した考えは、「恥」という認識で皆が良心を持っていました。
この感覚的な部分こそがアートなのです。