第6回 ロックバンドに見る組織のパワー

私は信金マンとして長く組織の中で働いているが、離脱者が出た時の結束や互いのサポート態勢、目標を一つにした時の爆発的な頑張りなど、組織が持つパワーを、身をもって体験してきたと、つくづく感じる。
組織の持つ意味や意義とは、メンバー1+1が3になり4になる、あるいは4-1=3にならず3.5に止まる、あるいは4を維持する…といったことが現実に起きるのが醍醐味であるといえよう。これらは複数のメンバーが協力し合い、刺激し合い、化学反応を起こすことから生じるのである。

■複数の才能の融和と刺激が産みだすモノ
これは、ロックバンドにおける組織の在り方に当てはめてみると、わかりやすい。
1970年代は多くのロックバンドが世に生み出され、クリエイティブで画期的な作品が数多くリリースされた時期である。バンドは組織であり、バンド内において複数のクリエイターが互いに刺激し合い、相乗効果を呼び、まさに1+1の才能が3、4、8、10と倍々ゲームで増殖し、発展する。
第1回のコラムで書いたビートルズがその典型で、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人の才能は互いの刺激により進化・発展し、素晴らしい音楽が生まれた。さらにバンドのギタリストに過ぎなかったジョージ・ハリスンも『サムシング』や『ヒア・カムズ・ザ・サン』等の傑作を創作し、二人のクリエイターに触発された化学反応を起こしている。
ほかにもローリングストーンズはミック・ジャガーとキース・リチャーズ、レッド・ツェッペリンはジミー・ペイジとロバート・プラントといった具合に、イギリス、アメリカに限らず、成功しているバンドには必ずと言っていいほど複数のクリエイターの存在がある。たとえバンドから脱退者が出ても、残されたメンバーがさらに結束を強めることもある。トム・ジョンストンの健康状態悪化でマイケル・マクドナルドを迎えたドゥービー・ブラザーズのように、新メンバーでバンドの新陳代謝が図られ、さらに素晴らしい作品が生まれた例があげられる。

■「創世記」を繰り返し、変幻自在に進化するジェネシス
ジェネシスは1967年に結成されたイギリスのバンドである。バンド名の由来は旧約聖書の「創世記」に由来すると言われている。
“アート・ロック”とも呼ばれるジェネシスの楽曲群は、リーダーのピーター・ガブリエルが物語を描き、演劇に仕立て、それを演奏で表現するミュージカルのようなライブを披露していた。正直なところ、他のメンバーはそれを表現する、単なる“楽器奏者”に過ぎない印象があり、ピーターは常に彼らへハイレベルの演奏を求めていた。ドラムス担当のフィル・コリンズや、ギター担当のスティーブ・ハケットは、技量不足で解雇になったメンバーの後釜としてオーディションで加入した組である。その後に発表された『眩惑のブロードウェイ』は、やや難解なストーリーではあったが詩の世界も楽曲そのものも素晴らしく、プログレッシブロックの傑作と評価されるようになった。そしていつしかジェネシスは、イエス、キング・クリムゾン、ピンク・フロイドと並び称される、イギリスを代表するロックバンドとなっていった。

ところが1975年、ピーター・ガブリエルが家庭の事情(バンド内の音楽性の確執という説もある)で脱退する。日本のバンドに例えればサザンオールスターズから桑田佳祐が脱退したような、Mr.Childrenから桜井和寿が抜けたようなイメージといえばおわかりだろう。ジェネシスはピーターのバンドであって、常識で考えればバンドとしての再生は考えにくい。圧倒的な存在感を持つ彼の離脱は補完できないだろうというのが、世間の印象であった。

しかし、ここからジェネシスの新しくも素晴らしい歴史が始まる。
ジェネシスは後釜となるボーカリストを募集し、オーディションを繰り返すが、ピーターの強烈な個性を埋めるような人材は簡単に見つかるものではない。そこで代役を買って出たのが、ドラムスのフィル・コリンズだった。4人編成となったジェネシスは空席となったドラムスにサポートメンバーを迎え、あらたなライブ活動をスタート。ピーター在籍時のレパートリーを継続する一方で2枚のオリジナルアルバムを発表したが、そこには“新生・ジェネシス”をアピールできるサウンドが存分に詰め込まれていた。

このまま新たなジェネシス時代を確立していくかと思われた1977年、今度はジェネシスサウンドの重責を担っていたギターのスティーブ・ハケットが脱退する。
これによりベースのマイケル・ラザフォードがギターを兼任する3人編成でバンドを継続するのだが、ここでジェネシスは音楽史上では考え難い生命力を発揮する。1978年発表のアルバム『そして3人が残った』は全英アルバムチャートで32週にわたってチャートインし、最高3位を獲得。シングルカットされた『Follow You,Follow Me』は最高7位に達した。その内容はピーター在籍時とは大きく方向転換し、アメリカを意識したポップス色を深めたハイレベルな仕上がりになっており、私もこの曲をラジオで聴いた時は、我が耳を疑うほどの感動を覚えたのを克明に記憶している。

その後のジェネシスの活躍は、ご存じの方も多いだろう。
ヒット作品を連発し、1986年の『インヴィジブル・タッチ』は世界的なセールスを記録し、アルバムタイトル曲はビルボード・シングルチャートで全米ナンバー1となった。(その翌週にジェネシスを1位の座から引きずり下ろしたのは、皮肉にもジェネシスを脱退したピーター・ガブリエルの『スレッジハンマー』だったのも興味深い)

■「組織」が育てる「個」のチカラ
バンドとしてのジェネシスが名声を高める一方、ボーカル兼ドラムスのフィル・コリンズはソロ・アーティストとしても才能を発揮。さらには映画出演やプロデュース業もこなし、“世界で最も忙しい男”と呼ばれるまでになった。
ひとりのドラムス奏者でしかなかったフィル・コリンズが、ここまでの成功を収め、ジェネシスを発展に導いた根源は、もちろん彼自身の才能と努力は言うまでもない。
しかし、あえて私は、そこに「組織のパワー」があったからだと言いたい。
ジェネシスは、その歴史の中で絶体絶命のピンチを乗り越え、成功を手中にしたバンドである。これは残されたメンバーが危機感を共有し、新しいリーダーの登場とリーダーシップの発揮、そして何よりもジェネシスを継続させるというメンバーの強い絆と継続的な努力の賜物である。その結果、メンバーの多能工化が実現し、驚異的な生命力をもたらしたバンドといえよう。

余談だが、1973年、ピーター・ガブリエル時代のジェネシスは『月影の騎士』を発表。全英最高位3位に付けゴールドディクを獲得したが、ここでフィル・コリンズは「More Fool Me」で初めてボーカルを任されている。
うがった見方かも知れないが、ピーターはこのアルバムで、自分の後継者として彼を試したのではないか? 自らの脱退後、ジェネシスを継続させるための「事業承継」を計画的に進めていたのであれば、組織のパワーは早くから発揮されていたことになる。
このような憶測を楽しめるのも、ジェネシスの魅力である。

■ジェネシス公式サイト
http://www.genesis-music.com//

profile

手島繁(てしま・しげる)。大分みらい信用金庫・執行役員営業推部長。1962年生まれ、杵築市出身、大分市在住。大分鶴崎高校、福岡大学経済学部を卒業後、別府信用金庫(現・大分みらい信用金庫)へ入庫。営業店や本部勤務、大分県産業創造機構出向等を経て、鶴崎森町支店長、東大分支店長等を歴任の後、融資部副部長、企業サポート部部長を経て現職。学生時代から楽器をたしなみ、バンドを結成、ドラムス、ピアノ、ギター、ボーカルまでをこなすマルチプレイヤー。特にドラムスの腕前は高く評価され、社会人ビッグバンド「スウィングエコーズジャズオーケストラ」、「Sunset Color」、「長谷部彰ピアノトリオ」等レギュラードラマーとして活躍中。毎月1回、西大分ブリックブロックでピアノ弾き語りライブ「手島ナイト」を開催している。